2003-12-01から1ヶ月間の記事一覧

希望なき人生は生ける屍

希望なき人生、未来を持たぬ青年は、生ける屍(しかばね)に等しかろう。さらに、人生で最も優れた人とは、青年期にもった理想、青年時代に築いた夢をば、一生涯貫き通してゆける人だ。 【『私はこう思う』(毎日新聞社)1969-05-03発行】 水滸会の教材でも…

科学するものに正邪あり

科学そのものには正邪はないが、科学するもの、科学を操作するものの生命状態には、あきらかに正邪がある。その生命の状態、ある瞬間の一念が、原水爆の悪魔的災害さえも生むのである。時代は、一念の狂いが、人類の絶滅さえ起こしうるところまできてしまっ…

僣聖増上慢を倒せ!

「極悪との闘争に妥協なし」の続き。 大聖人は僣聖増上慢を指して「出家の処に一切の悪人を摂す」(228頁)と仰せだ。続けて「当世日本国には何れの処ぞや、(中略)よくよくたづぬべし」(同頁)と強く教えられている。 邪宗日顕宗の登場によって、この御聖…

持続それ自体が力

強盛な信仰の第一条件は、まず、地道な行学の水のごとき持続であると申し上げたい。持続はそれ自体、すでに力であります。(中略)それも単なる平坦な持続ではなく、求道と向上の持続でなければなりません。 【男子部中期全国指導会 1972-08-02】 流れゆく水…

折伏の意義

折伏ということを現代的に位置づけておきたい。折伏とは、人間としての共通の悩みに一緒になって苦しみ、それを語り合いながら、人間としての生き方に目覚めてゆくことである、と考えられる。言い換えれば、折伏とは自他ともの人間精神の覚醒運動であります…

観念論はどこまでいっても観念論

問題は、それがどこまで“実現できるか”というただの一点に尽きるわけです。 観念論は、どこまでいっても観念論であります。実践、実現は至難です。実践するか否かで、人間としての偉さが決まるのです。みなさんは、どうか仲良く団結して、これからの課題に、…

惰性が仏法を腐らす

「諸君は、去年も活躍したように思っているだろうが、実際は惰性に流された活動であったのです。僕が講義をし、僕が座談会へ行く。そこだけにしか学会活動はなかったといってよい。僕がいないところでは、なんの活動もなかった。こんなことでは正法の久住は…

ご挨拶

ここは「創価スピリット」で紹介した指導の覚え書きblogである。(「創価wiki」で開始、2006年9月26日に「はてな」へ引っ越し、「創価王道」に) 「創価スピリット」は2003年12月25日から発行。この日は、私が青年部時代に過ごした地域の中心会館を、先生が…

君ありて 嵐の学会光さす

君ありて 嵐の学会光さす 妙法の指揮 不思議なりせば 【『和歌・句集 こころの華』(聖教新聞社)1982-08-24発行】 この歌は、第3代女子学生部長就任を祝して『池田会長講演集』第2巻に揮毫されたもの。日付は昭和45年6月24日となっている。言論問題の渦中で…

組織利用の定義

【MLに投稿したもの】 思いつくままに書いておきます。尚、気づいた点がありましたら、ご助言下さい。 私の地域では、「自ら好んで購入した場合は致し方ない」という指導性があるそうです。先ほど地区婦人部長から聞きました。これを完膚なきまでに破折して…

詩聖・杜甫の像に寄す

ともあれ、詩は「志(し)」である。胸中に湧き上がる烈々たる志(こころざし)をもって、人間の心を動かし、社会を動かすのだ。 それは、第一次の宗門事件の烈風が吹き荒れ、学会の悪戦苦闘が続いていた昭和54年11月のことであった。 その日、私は、神奈川…

極悪との闘争に妥協なし

時折、聖教紙上座談会への意見を耳にする。云く「やり過ぎじゃないのか」、また云く「品位がなさ過ぎる」と。何となく一理あるような気にさせられる。 同様の指摘は、同志社大学教授の渡辺武達(たけさと)氏の『聖教新聞の読み方――創価学会・機関紙のエネル…