2004-03-01から1ヶ月間の記事一覧

創造的生命

私の胸にあふれてやまぬ“創造”という言葉の実感とは、自己の全存在をかけて、悔いなき仕事を続けた時の自己拡大の生命の勝ちどきであり、汗と涙の結晶作業以外のなにものでもありません。“創造的生命”とは、そうした人生行動のたゆみなき錬磨のなかに浮かび…

人材育成なくば権威主義

第2の10年の大きな課題は、人材の育成と教学の振興にある。第1の10年間が量の増大であったとするならば、第2の10年は、質(内容)をあらゆる点で向上させてゆく10年でなくてはなりません。 その核となるのが座談会であり、そこでは、まず第一に人材の育成を…

社会の動きに鋭敏であれ

創価学会は当然、宗教団体でありますが、もう一歩深くいえば、単なる宗教儀式を行なうための宗教団体であってはならない。あくまでも日蓮大聖人の仏法哲学をもって、人々の不幸を解決し、現代社会を救うための宗教団体である。すなわち、宗教の理念を社会に…

円陣はダメ

座談会場には、小さくても、やはり机ぐらいはあった方がよい。円陣で座談会をという意見もあるが、全体をリードしていくためには、中心をはっきりしておいた方がいい。だからといって、中心者は決して権威ぶったり、堅い雰囲気をつくってはなりません。あく…

究極の勝利

私は究極の勝利のために、戦い抜いた。 その前途には、人生最良の日々があることを、心気高く見つめていた。 憂鬱や絶望などの、愚の骨頂の人生は、生きなかった。 心の底から真実に生き抜いた私には、深き勝利と栄光の確信があった。 安逸な日々など、一日…

キャンプファイヤー

「『水滸会』で、このようにキャンプファイヤーを囲んで野外研修を行うのは、戸田先生以来の伝統です。それには、深い意味があります。 先生は、この燃える薪(たきぎ)は私たちの生命(いのち)であり、信心の炎であると言われていた。つまり、私たちが生命…

周到な準備

助走の勢いが跳躍の力を決定づけるように、広宣流布の活動の勝敗も、いかに周到に準備を進めたかによって、決まってしまうといってよい。ジャンプへと踏み切る“決戦の瞬間”には、既に勝負は、ほぼ決まっているものだ。 【『新・人間革命』第2巻/「民衆の旗…

「私は輸送班の先駆者」

私もかつては、青年部にあって一青年部員の時代もありました。また班長の時代もありました。当時は隊長がありませんもので部隊幹部をいたしました。そして部隊長もしました。輸送班もやりました。私は輸送班の先駆者であります。 【5月度男子部幹部会 1963-0…

曖昧な姿勢を戒めよ

指導者が曖昧な態度であり、裏表があった場合には、言々句々も曖昧になり濁ってしまう。 堂々と正義の論戦を展開し、きちっとなにごとも言い切っていける青年らしい、男らしい態度――これが指導者として大事なのです。 【在京・男子部班長記念撮影 1968-02-09…

峻厳なる信心なければ広布の組織にあらず

社会一般においても、出来上がった組織の上にあぐらをかき、惰性や感情に流れ、安逸をむさぼって、過去の創成期の苦しみを忘れた時に、その組織力が崩れゆくのは、歴史が明確に物語っているところである。 学会も社会の一つである。学会という社会も複雑にな…

罰と功徳を自覚できる教学を

もう一つは、日蓮大聖人様の仏法に通達していくことが大事だ。青年訓に「行学に励み御書を心肝に染め、大聖人の仏法に通達して迷いなく……」とあるが、心ある学会人は、みんな御書を心肝に染めていく義務があると思う。戸田先生が牢獄の中で読まれたのも経文…

時間革命

人はよくひまがないというが、ひまがないのではなく、心にゆとりがないのである。仕事に流され、環境に支配されたりしたのでは、自己の成長を忘れた姿といえまいか。 【『私はこう思う』 1969-05-03発行】 「時間がない」と嘆くものの、忙しいようでありなが…

人事を過つことは、組織をころすこと

「君たちもよく憶えておきなさい。組織といっても、人が大事なのです。組織活動というものは、着実に進まなければ意味がない。着実ということは、保守的であってもいけないし、さりとて、急進的であっても駄目です。しかし、物事の全体を捉えて真に着実に推…

境涯によって世界は変わる

世界がどう見えるか。また人生がどのように感じられるか。それは、ひとえに一人ひとりの境涯世界によって決まる。 【第1回和歌山県記念総会 1988-03-24 関西研修道場】 よく覚えている指導の一つ。本部新館へ行った際、佐藤武彦副会長がこの指導を引用して激…

戸田先生の獄中の悟達

私が申し上げたいのは34回も「……に非ず」が、徹底した「限定性の超克」であり「無限性の開示」であったということです。あらゆる角度からの「限定性」を超克しぬいたところに浮かび上がるホーリスティック(全包括的)な生命観――それは総長のおっしゃる「無…

「心」が「心」に響き、「生命」が「生命」を動かす

「心」が「心」に響き、「生命」が「生命」を動かす。この感応が、信心の世界にとって、どれほど大切であることか。 指導者は謙虚に自身の生命と人格を磨きゆかなければ、「心の世界」「生命の世界」である学会のあり方を大きく誤ってしまう。 【和歌山広布3…

「どう見えるか」ではなく「どうあるか」

名聞も名利も、真実の前にははかない。人に「どう見えるか」ではない。自分が「どうあるか」である。仮に他人はごまかせたとしても、自分はごまかせない。自分自身が納得できない生き方をして、本物の人生を送れるはずがない。 【第2回全国青年部幹部会 1988…

「内外」考

さて、「内と外」について考えてみました。 「内外」という考え方があるから、そこに「敵と味方」という発想が芽生えてくるのも自然でしょう。 「内外」という考え方はいつからできたのか。これは、人が共同体として生活を開始してからだと思います。共同体…