2005-05-01から1ヶ月間の記事一覧

法華行者逢難事

一切の諸人之を見聞し志有らん人人は互に之を語れ(967頁) 文永11年(1274年)1月14日 53歳御作(誕生日前であるが数えで計算する場合、1月1日に加齢されるとのこと) 於佐渡 与河野辺殿等中、大和阿闍梨御房御中、一切我弟子等中、三郎左衛門尉殿、謹上 富…

組織/和合僧

さて本日は、若き諸君が21世紀の立派な指導者と育ちゆくために、広布の「組織」について、種々論じておきたい。 皆さま方は、私のスピーチというと、すぐナポレオンやソクラテスといった話を期待するかもしれない(大笑い)。しかし、将来のためには、たとえ…

死角をつくるな

「死角をつくらない」――これは、活力ある組織を構築する上でも、大変に重要な視点である。 恩師・戸田先生は常々、あらゆる角度から組織のあり方について話して下さった。この組織と“死角”の問題についても経営論を通じて、次のように指導された。 「会社を…

鳩摩羅什

師との出会いの後、羅什(らじゅう)の生涯は文字通り、波乱万丈のドラマであった。乱世のゆえに、羅什は30代後半から50代という最も仕事のできる年代に、実に16年間も半ば囚(とら)われの状態に置かざるを得なかった。 目指す「長安の都」を目の前にして足…

戦争を翼賛し、遥拝を指導した宗門

戦争を翼賛し、遥拝を指導したのは宗門である。 昭和16年12月8日の日米開戦にあたり、時の法主である日恭は、戦争翼賛の『訓諭』を出した。 昭和17年10月10日、宗門は、伊勢神宮の遥拝の宗務院通達を檀信徒宛に出す。 そして、昭和17年11月19日には、日蓮正…

「通諜」は完全な偽造

「通諜」は完全な偽造である。これをまともに信じているのは宗門だけだ。 これは昭和52年に突然、コピーが世の中に出回り始めた。牧口研究家は学会以外にも大変多い。これが本物だったら大発見であるが、全く誰も相手にしていない。偽造文書としても、これほ…

人柄は信心の純粋性に影響する

時光の父の逝去は、入信してまだ1年ないし4年という短い歳月であった。それにも関わらず、大聖人は「成仏」は間違いないとされ、その上で亡き人のよき人柄をしのばれ、また、家族を思いやられて、その死を深く悼(いた)まれている(1510頁)。 ここで、故南…

一人が万人を生む母

さて、岡崎のある中部の地に、広布の“第一歩”がしるされたのは、昭和27年(1952年)8月。13日の夜、戸田先生が出席され、名古屋での初の座談会が開かれた。その折、入信したのはただ一人。それが、中部広布の“一粒種”となった東松録三郎さんであった。 戸田…

1463頁5行目

日本国の人人は多人なれども体同異心なれば諸事成ぜん事かたし、日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし、譬へば多くの火あつまれども一水にはきゑ(消え)ぬ、此の…

異体同心事

背景 弘安2年(1279)8月6日 8月6日 54歳御作 御書では建治元年となっているが、熱原の法難に触れているので、弘安2年(58歳)と思われる。 対告衆(たいごうしゅ)不明か? 高橋入道、大田乗明、南条時光? 於身延 真蹟:不明

かつてない“広布の歴史”を!

ご存じの通り、3月1日の大法要には、時の宰相の代理が参列した。更に3月16日には、宰相自身が登山する予定であった。 ――その1年半ほど前のことである。昭和31年(1956年)秋から翌年初頭にかけて、私は山口開拓指導を行った。 大阪での大法戦に引き続いての…

形骸化した権威と戦え

彼は「思想による戦闘の人」といわれたが、こうした書物を通じて彼が目指したのは、“伝統的価値の全面的転換”であった。そして、思想上の使命として、“形骸化したキリスト教”と戦うとともに、ヨーロッパ近代文明の退廃を指摘し、精神の空白とともに“家畜化し…

鎌倉時代になると紙は障子、ふすま傘などとして生活の中に入り込んできた 現存する最も古い紙といわれているのは聖徳太子が書いた 「法華義疏」の巻物の紙で、移入紙なのか国産紙なのかは不明です。ちなみにこれは日本最古の本としても有名です。聖徳太子は…

外交のできない人間は、深い信頼はできない

「外交のできない人間は、深い信頼はできない」――これが戸田先生の持論であった。 特に、青年に対しては、万般にわたって、外部とのしのぎを削る打ち合いの中でこそ、人間の地金(じがね)が磨かれることを繰り返し教えられた。 でき上がった組織の上に、呑…

沢田教一関連リンク

写真家 沢田教一から学ぶ サワダ 沢田教一 沢田教一とカンボジア:沢田サタさん 【左上をクリックすると映像を見ることができる】 侍カメラマンとベトナム戦争 映画『サワダ SAWADA……青森からベトナムへ ピュリッツァー賞カメラマン 沢田教一の生と死』 作品…

沢田教一

常に「死」と隣り合わせの戦場にあって、彼の取材への「執念」、そして「勇気」の行動には並ぶ者がいなかった。 ある従軍取材では、地雷が埋められている場所を一列になって慎重に進む部隊の姿を、沢田氏はその数メートルも前で、後ろ向きになって“後ずさり”…

二つの顔をもつ“万里の長城”

万里の長城の建設。そこにみられる「民を守る長城」という理想と、「民を苦しめる長城」という現実――この深刻な落差に民衆の悲劇があった。 次元は異なるが、私どもは一生成仏のために仏道修行をしている。また、世界の人々の幸福のためにも、広宣流布を進め…

城の字義

ところで、「城」という漢字には「民を盛(い)れる」という義があるとされている。中国では都市を城壁で囲み、その中に民衆も住んでいた。 また、「城」の“つくり”の「成」は、「戈(ほこ)」と「丁(てい/打ち固める)」からなり、「たたいて固め、まとめ…

真実の師弟の関係は“信受”に

さて、ソクラテスとプラトンの関係を一言でいえば、「信受」にあったということができよう。もちろん、他の弟子もソクラテスを愛し、尊敬していた。 しかし、彼らはどこまでも「自分の常識」の範囲内でソクラテスの偉大さを受け止めていた。ゆえに、ソクラテ…