人生

「決して恐れるな、獅子として堂々と生き抜け」

戸田城聖第二代会長生誕90周年を記念し、第二代会長をしのぶ第1回懇談会が9日午後5時半から、池田名誉会長が出席し、新宿区内で開かれた。 席上、名誉会長は、メンバーの日頃の活躍の労をねぎらいつつ、「戸田先生を知らない世代に、恩師の残された広宣流布…

『人生問答』池田大作、松下幸之助

新しい「恩」の考え方 池田●仏教のなかには「恩」という考え方があります。こうした考えは現在では古い封建道徳の遺物であるとして排斥されていますが、「一切衆生の恩」を説いているように、たんなるタテの主従関係を強いるものではなく、もっと社会への広…

『人生問答』池田大作、松下幸之助

富岡氏より以下の内容を送っていただいた。与えられる立場に甘んじる人が多い中で、貴重なテキストをお寄せしてもらい、心より感謝申し上げる。 苦闘の体験は 池田●青年に、未来への希望と行動の確信を与えるものは、どんな理論や高邁(こうまい)な教説より…

金文字の日記帳に空白のページをつくるな

一日一日の行動は、日記帳に書く書かないは別として、人生の金文字の日記帳である。同じ思い出といっても、映画を見たり、快楽のみでは、水泡のように消えてゆく、はかない思い出である。 どうせ同じ一生を過ごすならば、妙法流布という偉大なる行動の数多く…

20年先を目指し、獅子のごとく生きぬこう

いつもいつも冴えゆく 月光と語りながらの 雄々しき挑戦ありがとう 二十年先を目指し 獅子の如く 太陽の如く 共に生きぬこう 【『友へ贈る』 1978-05発行】 「20年先を目指しなさい」とは、昭和40年代の青年部に対する基本的な指針であった。信心といっても…

戸田先生「人生も信心も強気でいけ」

私どもの前途には、権力の迫害もあれば、様々な妨害もある。しかし、決して驚くことではないし、恐れる必要もない。信仰ゆえの難であれば、それはむしろ信仰者の誉れであり、大いなる喜びである。少なくとも私は、戸田先生の弟子として、そうした思いで今日…

永遠に朽ちぬ生命の日記を綴れ

ペトラルカは、先人の書から、「自己自身を知れ」という呼びかけを聞き取った。 時代や社会は様々に変化する。だが、幸福も不幸も結局は、「自分自身」に帰着する。 御書に「八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり」(563頁)と。つまり、「八万四千」とも…

登山は、敢えて「困難に挑もう」とする文明人の行為

単に「生きている」だけなら、わざわざ苦しい山登りなどする必要はない。登山は、敢えて「困難に挑もう」とする文明人の行為であり、「不可能を征服すること」(フランスの登山家ヤニック・セニュール)である。いわゆる原始人は、「狩り」はしても「登山」…

偉人は苦難の中で歴史を残す

トインビー博士は、大著『歴史の研究』の中でも、ダンテに多く言及されている。博士の叔父さんも、有名なダンテ学の権威であった。 博士は書いている(『歴史の研究』第3部「文明の成長」)。 「フィレンツェに於ける生得権を失うことによって、ダンテは世界…

少女パレアナは何にでも喜びを見出した 

パレアナは、どんな人に会っても、何かしら「嬉しいこと」「喜べること」を見つけた。誰だって、自分に会って心から喜んでいる相手に対し、悪い気持ちを持ち続けることは難しい。だから皆、いつしかパレアナの味方になった。 心は不思議である。心は微妙であ…

「深き理想」には「深き人生」が、「大きな目標」には「大きな自分」が

「深き理想」には「深き人生」が、「大きな目標」には「大きな自分」が伴っていく。理想、目標のない人生は、努力も苦労もないが、向上への喜びもない。そこには虚(むな)しい自分しか残らない。 私どもは、「広宣流布」という人類未聞の理想に向かって、日…

九州広布の原点

牧口初代会長が出席して、初の九州総会が開催されたのは、昭和16年(1941年)の秋11月。ちょうど今頃の季節であった。場所は福岡県二日市の武蔵旅館。もちろん、学会の会館などなかった時代である。 その時の参加者は約40人。太平洋戦争勃発(昭和16年12月8…

中途半端は、青年の大敵である

現代にあっては、トルストイの言う「青春の力」の喪失の傾向は、あまりにも強くなってしまった、と言えるかもしれない。 自分の殻(から)に小ぢんまりと閉じこもることが、利口な生き方にさえ見える世相になってしまった。しかし、それは自分で自分の首に軛…

魂の自由

ともあれ、あらゆる権威を弾き返し、“魂の自由”を勝ち取ってゆく――。ここに本当の信仰の力がある。 【第11回関西総会 1989-10-12 関西文化会館】 昨日、関西池田記念会館にて本部幹部会が行われた。実に7年ぶりの関西入りである。大関西、おめでとう! この…

「あの荒れ地の中に宝がある」

こんな昔話がある。 ――父の遺言で「あの荒れ地の中に宝がある」と、息子達が聞いた。 怠け者の息子達だったが、“宝”が欲しいばかりに、毎日、一生懸命、荒れ地を掘った。人間は“宝物”に弱いらしい(笑い)。 中々宝は出ない。しかし、真面目な父の言うことで…

若き先生を折伏した戸田先生の言葉

私の入信の日──昭和22年(1947年)の8月24日は日曜日であった。大変に暑い一日であったと記憶している。 当時は入会の儀式の勤行が今よりもゆっくりで、慣れていない長時間の正座で足が痛くて苦しかったことを思い出す。 私は戸田先生の人格を慕い、深遠な哲…

恥を恐れるな

「一芸を身につけようとする人は、『まだ下手な間は、うかつに、人に知られないようにしよう。ひそかに習得してから人前に出れば、それこそたいへんりっぱに見えるだろう』と言いがちであるが、こんなこと言う人は、一芸も物にできないのである。 まだまった…

功徳と罰を超克しながら前進せよ

現実の人生は、幸せに見える時もあるし、不幸に見える時もある。すなわち、仏法で説くところの「功徳」と「罰」の姿である。「功徳」の人生を生きていきたいのが当然であるが、その裏には不幸という「罰」の現実もまた避けることができないのが人生である。 …

踏んだり、蹴られたりしなければ、精神がふやけてしまう

若き君よ、理想の華を散らせてはならぬ。生あるかぎり「もう、これまでだ」などと言うな。少しくらいの苦労で「人間とは、世間とは、こんなものだ」などと言うな。 君が純粋であればあるだけ、誤解と攻撃が、山とのしかかることもある。心に合わない仕事をし…

完結

私どもの人生は、何事にあっても完結させることが大切である。書物も、完結のない本は意味がないし、映画やテレビでも、完結のない中途半端なものは無意味といわざるを得ない。 人生もまた同じである。ましてや、一切の根幹となる信心にあっては、完結させゆ…

年齢一覧表

8歳 竜女、成仏。 12歳 大聖人、清澄寺へ入らる。 15歳 伝教大師、出家。 橋本左内、『啓発録』を著す。 16歳 大聖人、出家。 天草四郎、島原の乱にて、3万7000人の一揆軍の指揮を執る。翌年、討死。 ホセ・マルティ、投獄される。後にスペインへ追放。 17歳…

青年よ、君は恥ずかしくないのか

広宣流布に生き抜いた人の「生死」は、無上道の「生死」である。 私は40年以上、世界中、数限りない人々の「死」の実相を見てきた。また、詳しく報告も受けてきた。 その結論として、見事なる「生」は、見事なる「死」をもたらしているといえる。「死」に臨…

正しき信仰で生命の花を咲かせよ

人生には様々な花がある。「富」の花や、「名声」の花に酔い痴れる人も多い。「権勢」の花や、「安逸」の花に溺れる人も少なくない。しかし、それらの花は無常の移ろいを免れることはできない。また、自己満足の閉ざされた喜びで消え去ってしまう場合も多い…

晩節を汚すな

近頃、「晩節を汚(けが)す」という言葉が頭から離れない。どんなに功成り名を遂げた人であっても、不遇の晩年を過ごす人は多い。まして、晩節を汚すようなことがあれば、九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)にかくことになろう。 地涌の陣列に身を置く…

美しく老いる

本日は、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)のヤング総長、また、ミラー副総長のご招待をいただき、アメリカの知性を代表するキャンパスで講演できることを、心の底から喜んでおります(拍手)。これからのアメリカを、否、21世紀の世界を担う皆さん…

互いを見つめ合うのではなく、同じ方向を見つめよ

ところで、愛情というものほど、捉えどころのない移りやすいものもないのだ。時に幸福への基盤でさえなくなってくる。愛情をもとめて、愛情に傷つく人生が氾濫(はんらん)しだした。愛情の確認は、幸福の確認であってみれば、たがいに相手の心を覗(のぞ)…

病床にあっても学び続けたトインビー博士

トインビー博士自身、80代の半ばになっても、真摯な研鑚の歩みを決して止めようとはされなかった。 博士は、私との対談の翌年、病床につかれた。残念なことに、回復は思わしくなく、意識もはっきりと戻らなかったようである。 しかし、博士の夫人からいただ…

中年期に堕落するな

コロンブスの人生も中途までは、ある意味で順調であった。その後、次第に下り坂となった。 青年部の諸君の中には、今は苦境にある人もいるにちがいない。しかし、一年また一年、栄光の坂を上り、晩年にこそ最大に光輝燦(さん)たる福徳に包まれた一生であっ…

永遠に若き青春の心であれ

学会はこれまで若かった。若いがゆえに力があった。希望があった。みずみずしい生命力もあった。 その力が難を越え、怒涛を越えて、広宣流布への大道を開いた。風雨があっても、嵐があっても、たくましい生命力で代償を求めず戦ってきたがゆえに、壮大なる広…

一日に永遠の価値が

私がいつも深い感銘を覚えるのは、「百劫を縮めて一日とし、一日を延ばして百劫とする」という生命観、価値観である。 私どもは煩悩に縛られた悩み多き身かもしれない。しかし、「一日」であっても「何億万年」の長さに広げて生きてゆくことができる。また、…