師弟

「まず 自分が変われ!――勇んで登攀を! 断じて勝利の峯へ」

私の永遠の師匠は、戸田城聖先生である。 その弟子として、師匠と共に、三世永劫にわたる人間の極地、そして大宇宙の本源まで説き明かした大仏法を知った喜びに、私は感涙にむせんだものだ。 ともあれ、大切な人生だ。大切な一生だ。 長い長い価値ある旅路を…

弟子が師を決める

真の信心なき彼らは 先生を師とは仰げなかった。 本有無作なる 先生の振る舞いを 軽んじて 広宣流布の師たる 内証を 知ろうとはしなかった。 【「師弟不二の詩(うた)/ああ 恩師 戸田城聖 先生」 2007-02-04 創価学会本部・師弟会館】 弟子の一念が定まる…

師弟勝利の7月/真実は勝て! 必ず勝つのが師子!

さあ大攻勢だ! 正義の声を轟かせゆけ 明日、明後日の新聞に掲載される「随筆 人間世紀の光」の一部を―― アメリカの民衆詩人ホイットマンは高らかに歌った。 「まだまだ 勝負はこれからだ、 一つ元気いっぱい頑ばろう、 (闘争と捨身の攻めを喜ぶ心は 最後ま…

「偉大なるわが師匠に捧げる 我らは弟子の正道を!」

師匠の目が 私の目に注がれた 劇的な瞬間! 師の声が 私の耳朶(じだ)に響いた 感動の瞬間! その喜びと決意と 限りなき熱い魂は 何ものをも超越した 人間の魂に喜びを与える。 生きがいを与えてくれる。 【2007-07-05 師弟会館】 8日付に掲載される長編詩…

「わが人生の栄光を謳う 正義と真実の師弟の道」

おお 弟子は! 真実の師弟は! 命を賭(と)して 命を懸けて 恩深き師匠を 断固として護りゆくのだ。 死力を尽くして護るのだ。 あらゆるものを 犠牲にして護るのだ。 そこにこそ 師弟の不二があるからだ。 【2007-07-03 師弟会館】 7月3日に、先生が師弟会…

牧口先生「現在が栄えていればこそ、先人が偉大になる」

牧口先生は、言われていた。 「現在が栄えていればこそ、先人が偉大になるのである。 今が栄えていなければ、先人の偉大さも光彩がなくなるのである」 すべてが弟子で決まる。 弟子の勝利が、師匠の勝利である。 【盂蘭盆の意義を語る 2006-08-06 長野研修道…

心の奥の奥が、どうなっているか

戸田先生は、牧口先生の道を開いた。 私は戸田先生の道を開いたのである。 「師弟」「師弟」と口では、いくらでも言える。表面を取り繕い、ごまかすこともできる。 しかし大切なのは、生命の奥底の一念だ。心の奥の奥が、どうなっているかだ。 戦うしかない…

常に師と共に生きる人生であれ

今も私は、毎日毎日、先生を思い、先生と対話しながら、生き抜いている。戦い抜いている。 いつも師匠と一緒。いつも同志と一緒。この心があれば、何があろうと、断じて負けることはない。 【全国最高協議会 2 2006-07-31 学会本部別館】 時に挫けそうになり…

「先生より、泰山も裂けんが如く、叱咤さる」

《昭和29年/1954年》 12月27日(月) 快晴 昨日、先生宅に、お歳暮にお伺いする。 先生より、泰山も裂けんが如く、叱咤さる。 厳父の怒り、先生の激烈なる大音声に、身のすくむ思いなり。 嗚呼(ああ)、われ過(あやま)てり。先生の仰せどおりなり。人生…

仏法の真髄は「師弟」に

私は師匠を守るために命を懸けて戦った。すべてを捧げて戸田先生に仕えた。 先生は本当に厳しかった。今の時代では想像できないほどの厳しさだった。 真夜中や夜明け前に「すぐに来なさい」と戸田先生から電話がかかってくる。そういうことが何度もあった。 …

真っ直ぐに師弟の道を歩め

他の人々の目には、子路(しろ)の「利害」を度外視した純粋な生き方は、「一種の不可解な愚かさ」に映った。 しかし、師匠・孔子だけは、この弟子の生き方の「無類の美点」を知り、誰よりも高く評価していたのである。 一方では、子路ほど叱られる弟子もな…

「弟子としての道」

私どもは戸田会長先生の弟子でございます。弟子なれば、弟子としての道がございます。弟子なれば、弟子としてお仕えする道がございます。弟子なれば、弟子として大法戦に向う大闘争を展開する決意に燃えていく自覚がなくてはなりません。 今や、戒壇建立の道…

光掲げん 先覚の子は

荒猛(あれすさ)ぶ 廣野(こうや)に一人 決然と 光掲げん 先覚の子は 【1950-09-23(昭和25年)】 「創価の魂」で紹介した歌の二日後に詠まれている。「法華経を信ずる人は冬のごとし」(1253頁)という状況下で、師弟の絆は深められ、完全に不二となった…

吉田松陰と門下 その一念の相違

さて本日は、青年部の参加者も多い。そこで、吉田松陰とその門下について少々触れておきたい。 ご承知のように吉田松陰は、満29歳で死刑に散った。まことに若い。青年である。この一人の青年が近代日本の幕を大きく開けた。古き時代は倒れた。驚くべき歴史で…

言うこと能わず、行うこと能わざるを国の賊となす

最後に伝教大師の言葉を紹介しておきたい。 「能く言いて行うこと能わざるは国の師なり、能く行いて言うこと能わざるは、国の用なり、能く行い能く言うは国の宝なり。(中略)言うこと能わず、行うこと能わざるを国の賊となす」(『山家学生式』〈さんげがく…

二当らん杖には一は替わるべき事ぞかし

大聖人は「弥三郎殿御返事」の中で、御自身が二十余年の間、生命(いのち)に及ぶ大難を受けてきたのは、ひとえに日本国の一切の人々を救おうと思ってのことであると述べられ、次のように記されている。 「されば心あらん人人は我等が為にと思食すべし、若し…

仏の別名は勝者

さて、仏の別名に「(魔軍の攻撃に打ち勝った)勝者」とある。 「絶対に負けない」というのが仏である。 「絶対に勝つ」「断じて勝ってみせる」──これが仏である。 仏法を持(たも)った皆さん方が負けるわけはない。 いかなる障魔も、醜い陰謀も、断じて打…

創価の魂

《池田青年から戸田先生へ》 古の 奇しき縁に 仕えしを 人は変れど 我は変らじ 《戸田先生からの返歌》 幾度か 戦の庭に 起てる身の 捨てず持つは 君が太刀ぞよ 色は褪せ 力は抜けし 吾が王者 死すとも残すは 君が冠 【1950-09-21】 昭和25年の秋である。こ…

「如是我聞」の心は「師弟不二」の心

「如是我聞」の心とは「師弟不二」の心です。それが仏法伝持の極意です。 一切衆生を救おうとする仏の一念と、その教えを体得し弘めようとする弟子の一念が、響き合う「師弟不二」のドラマ――それが「如是我聞」の一句に結晶しているのです。 しかも、法華経…

全生命を傾けて仏の生命の響きを受け止めるのが「如是我聞」

「法体」「諸法の心」とは、二十八品全体に脈打つ「仏の智慧」そのものです。その智慧が「南無妙法蓮華経」です。 それを「その通りに聞く(如是我聞)」とは、「信心」です。「師弟」です。師匠に対する弟子の「信」によってのみ、仏の智慧の世界に入ること…

如是我聞は弟子の「大闘争宣言」

仏の入滅を転機として、“救われる弟子”から“救う弟子”へと転換したのです。これこそ法華経の精神です。 だから、「如是我聞」の心とは、弟子が決然と立ち上がることです。「さあ、師と同じ心で、民衆を救っていくぞ」と、困難を求めて突き進む。その“大闘争…

題目の人こそ真の弟子

学会がこれだけ大きくなると、一人ひとりにお会いすることは不可能に近い。だが、この私の心を知って、日夜題目を唱え、王仏冥合のために戦っている人は、既に私と会っているのと同じであります。同志とは同じ志(こころ)に立つということであります。その…

真実の師弟不二

私は既に戸田先生の年齢を超えた。だが、私の胸中から、一瞬たりとも恩師・戸田先生の心が失われたことはなかった。否、もう戸田先生の心そのものであるかもしれない。 【「後継者の日」記念勤行会 1989-05-05 創価大学中央体育館】 書くことは何もない。た…

正しき信心は“師弟の道”に

広宣流布にとって、何が一番大事なのか。それは取りも直さず「信心」の二字である。いかに大きな権威の建物があっても、そこに仏法があるわけではない。いかに才知に優れ、いかに教学があるからといっても、信心が弱ければ意味がない。また、いくら人数が増…

生涯、学会と共に生きよ

私は一貫して、師である戸田先生のいかなる指導も、強く深く胸に刻みながら、人生と広宣流布の戦いの一生涯の源泉力としてきた。 これが「師弟不二」であるからだ。 ゆえに、どんなに小さい会合でも、いかに多忙な場合の指導であっても、ある時は手帖に、あ…

紅涙したたる日々があるとも

昭和57年(1982年)、マスコミを利用しての迫害の嵐が学会を襲っていた。その渦中にある11月18日、「学会創立記念日」のその日の日記に、私は一首を記し、御本尊に、そして戸田先生に捧げた。 仏勅の 学会守らむ この世をば 紅涙したたる 日々があるとも 戸…

真実の師弟の関係は“信受”に

さて、ソクラテスとプラトンの関係を一言でいえば、「信受」にあったということができよう。もちろん、他の弟子もソクラテスを愛し、尊敬していた。 しかし、彼らはどこまでも「自分の常識」の範囲内でソクラテスの偉大さを受け止めていた。ゆえに、ソクラテ…

大学の原点は師弟の絆に

いずれにしても、歴史上、また、世界のいたるところで青年の魂は、ひたすらに師を求め、師と出会った。 そこには、偉大なる「精神の触発」が生まれ、彼らの生涯の原点になっていった。それのみならず、その「魂の出会い」を“核”として、歴史の新しい舞台を開…

青年訓

青年訓は青年部員の信心修行、師弟相対全体が含まれていて、青年部員の指針である。したがって、青年訓のための青年訓であってはならない。これを自覚して実行しきるものが、真の先生の弟子、子供であり、親衛隊であるという意味が含まれている。 言い換えれ…

後継者決定

昭和二十六年一月六日 十一時三十分、先生宅。薄ら寒い正月。先生と共に、会社等の書類の整理。 一晩中、先生宅にて、種々お手伝い。及び指導、薫陶を賜る。先生の、なみなみならぬ決意をひしひしと感ずる。 先生は、正成(まさしげ)の如く、吾れは、正行(…