広布史

創価学会の日

那由他楽人君が興味深いことを書いていた。 5月3日の「謎」 早速調べたところ、「創価学会の日」という言葉が公式に使われたのは、会長勇退の翌年に当たる昭和55年(1980年)であることが判明した。 この“「創価学会の日」記念勤行会”は関西文化会館で開催さ…

戦時中の逮捕者について

「早くも歴史修正主義か?」を書いたところ、貴重な意見が寄せられたので紹介しておく。 「創価学会の歴史と確信」には、「21名のうち19名まで退転したのである」とあり、その直後に「会長牧口常三郎、理事長戸田城聖、理事矢島周平の3人だけが、ようやくそ…

3.16から4.2へ

来る年も来る年もこの時期になると、昭和33年の激闘を思わずにはいられない。3.16の盛儀にあって、戸田先生は立つことが覚束ないほど体調を悪くされていた。 『若き日の日記』に学ぶ4.2:昭和33年 戸田先生は若き池田先生に対し、「あと7年で、200万世帯まで…

月刊ペン事件〜会長勇退

猪野健治の分析によれば――、〔創共協定つぶしの経過を整理して言うなら、第一段階では公明党及び学会内保守派を共産党と対決させて、協定を有名無実化する。第二段階では学会と宗門の関係を悪化させ、池田を浮き上がらせる。第三段階では学会内反主流派をあ…

「魂の炎のバトン」を君たちに

永遠の3.16を記念――愛する青年部諸君に贈るメッセージ 3.16の精神 広宣の大空へ「永遠の青春」の翼 青春には翼がある。嵐の海をも過(よぎ)り、天空の奥まで翔(か)ける。 青空には果てがない。青春の力にも限りがない。 青空は世界を包む。青年の気概には…

青は藍よりも青し

「広宣流布記念の日」に若き友に贈る 新しき朝(あした)は 青年のものである 朝霜(あさしも) 鮮やかに 青き麦畑にも似て 弥生・三月とはいえ 暁の富士の寒気は厳しい 稲妻の閃光の如き 突然の知らせに 勇み馳せ参じたる 若き地涌の同志(とも)六千 吐く…

昭和18年の学会弾圧

創価教育学会に対する治安維持法違反、不敬罪を理由としての弾圧の規模と経過を見ておこう。 まず宗門が創価教育学会に「神札」を受けるよう命じた昭和18年6月、その月に最初の逮捕者を出した。 逮捕されたのは、創価教育学会理事の有村勝次と中野支部長の陣…

九州広布の原点

牧口初代会長が出席して、初の九州総会が開催されたのは、昭和16年(1941年)の秋11月。ちょうど今頃の季節であった。場所は福岡県二日市の武蔵旅館。もちろん、学会の会館などなかった時代である。 その時の参加者は約40人。太平洋戦争勃発(昭和16年12月8…

7.3

「我らの七月三日を記念して!」 【楽土建設の革命児たれ!】

衛星中継

本日は「壮年部の日」まことにおめでとう。そしてこの記念の日に、第1回の東京総会が開催され、心から祝福申し上げたい。 先ほど話があったようにこの総会の模様は、初めて衛星通信システムにより、全国の中心会館に伝えられている。これからは、日本全国は…

58歳

初代会長の牧口先生は、護法のために獄死された。不惜身命の殉教のお姿であった。日蓮大聖人の御聖訓通りの実践の方軌を、近年において立派に示してくださった。また、第二代会長の戸田先生も、牧口先生と共に入獄し、出獄後はあらゆる苦難を乗り越えて、立…

昭和17年2月1日に行われた幹部会

☆牧口会長総論、「依法不依人」の精神を以て、一家も一社も各支部も専制的指導を誡めよ。 ☆新支部長決定 かくて支部数は二十五となる。 ☆野島理事の提案に基き、次の如く決定 一、折伏強化運動 各支部は会員を倍加すること。各支部毎に一人が一人以上を折伏…

真面目の語義

私は明年で入信40年を迎える。その間、実に多くの人生を見てきた。その体験の上から、一つの結論として確言できることがある。それは、人柄のよい“真面目(まじめ)”な人格の人こそが、結局、最後に人生の勝利者となり、幸福者になっているという事実である…

年度別テーマ

2000年代 2007年/平成19年 前進・勝利の年 2006年/平成18年 青年・躍進の年 2005年/平成17年 青年・拡大の年 2004年/平成16年 創価完勝の年 2003年/平成15年 栄光・大勝の年 2002年/平成14年 対話・拡大の年 2001年/平成13年 新世紀 完勝の年 2000年…

狸祭り事件

今日の会合が、いかに重要であったかは、今までのお話でよくおわかりのことと思う。創価学会の目的は、日蓮大聖人様のお言葉を虚妄(こもう)にしないことである。 戸田先生は、仏敵たる悪侶をきちんと退治し、その結果が登山停止となった。ここに大難が現れ…

1万1111世帯

28歳の池田先生が指揮を執った大阪では、わずか1ヶ月間で折伏の金字塔を打ち立てた。意外と知られてないが、この時(昭和31年5月)の学会全体の本尊流布数は2万9873世帯。実に、一支部で37%以上の結果を出している。

元祖デマ雑誌『月刊ペン』事件の顛末(てんまつ)

編集長本人が学会に謝罪 「ネタ元」も「事実無根のデマ」と断言 原田男子部教学部長●前回は、元祖デマ雑誌『月刊ペン』事件について語り合った。 森山学生部長●総会屋絡みの雑誌『月刊ペン』(既に廃刊)が昭和51年3〜4月号に、事実無根のデマ記事を掲載した…

元祖デマ男 藤原弘達の正体(下)

原田男子部教学部長●ところで前回、「元祖デマ男」藤原弘達(ひろたつ)の話が出た。 高木男子部書記長●藤原の出した学会中傷の本が、どれだけデタラメだったか。 何しろ藤原は、学会にただの一度も取材せずに出版した。しかも、自分は書かずに、学生のアル…

元祖デマ男 藤原弘達の正体(上)

原田男子部教学部長●あの極悪ペテン師の山崎正友が、また裁判で断罪された。 高木男子部書記長●愛媛県の学会員の男性が訴えた裁判だ。「山碕が書いたデマ本で名誉を毀損された」と訴えていた。 横浜地裁は2月27日、男性側の主張を全面的に認め、山崎に対して…

1990年

尚、もしも戸田会長の33回忌、すなわち昭和65年(1990年)になって、広宣流布が達成できない場合は、あと10年で20世紀が終わり、21世紀に入ります。その時には、男子部、高等部、並びに中等部、少年部の人たちに、西暦2000年を期して、または10年前の西暦199…

四月会

四月会は政治屋と宗教団体との卑しい野合 邪悪と戦ってこそ正義である。極悪への怒りの闘争なくして極善の拡大はない。 大聖人は建治2年、「今年は仏法の邪正ただされるべき年か」(御書893頁)と宣言されている。 「正邪の戦いの決着を」との並々ならぬ御覚…

生涯、学会と共に生きよ

私は一貫して、師である戸田先生のいかなる指導も、強く深く胸に刻みながら、人生と広宣流布の戦いの一生涯の源泉力としてきた。 これが「師弟不二」であるからだ。 ゆえに、どんなに小さい会合でも、いかに多忙な場合の指導であっても、ある時は手帖に、あ…

7.3の意義

巡り来る7.3を目前に控え、その意義を再確認しておきたい。 7.3は師弟の日ではなく、弟子の日である。我々はともすると、「師弟、師弟」と偉大な師匠に寄りかかる悪い癖がある。 昭和20年(1945年)7月3日午後7時、戸田先生が豊多摩刑務所を出獄。敗戦が決定…

かつてない“広布の歴史”を!

ご存じの通り、3月1日の大法要には、時の宰相の代理が参列した。更に3月16日には、宰相自身が登山する予定であった。 ――その1年半ほど前のことである。昭和31年(1956年)秋から翌年初頭にかけて、私は山口開拓指導を行った。 大阪での大法戦に引き続いての…

月刊ペン事件名誉毀損罪で当時最高額の罰金刑

裁判史上で最も悪辣異例のデマ事件 デマによる謀略の共通点 1. 学会が発展する時期を狙う 2. 騒ぐのは同じ顔ぶれ(日顕一派 山崎正友) 3. 正体を暴かれ裁判でも断罪 原田●前回、語り合ったように、学会は本年も、全ての裁判で完全勝利だ。デマとウソによる…

歴史的な「小樽問答」の「その日その時」

宗門 学会の奮闘をよそに法論から逃げ回る 野村●前回は、あの歴史的な「小樽問答」に勝利した小樽班の同志が、東京の学会本部に凱旋した話が出た。 羽磨●心が躍ります。先輩方の築いた、偉大な広布の歴史です。私たち青年が、後に続きます。 藤原●「青年」。…

4.2

昭和33年4月2日午後6時30分、戸田城聖第二代会長はその波乱万丈の人生に幕を下ろした。神田駿河台にある日大病院にて。享年58歳。 恩師戸田先生は、勝海舟が亡くなった翌年の明治33年(1900年)2月11日に石川県江沼郡塩屋村(現・加賀市塩屋町)で誕生。明治…

後継者決定

昭和二十六年一月六日 十一時三十分、先生宅。薄ら寒い正月。先生と共に、会社等の書類の整理。 一晩中、先生宅にて、種々お手伝い。及び指導、薫陶を賜る。先生の、なみなみならぬ決意をひしひしと感ずる。 先生は、正成(まさしげ)の如く、吾れは、正行(…

新年勤行会

元朝勤行を廃止 青木●新年勤行会といえば、今年まで一部の会館では元日午前零時からの元朝勤行も行ってきた。だが明年からは、全国的に元朝勤行は取り止めることになった。 杉山●元日の主に午前10時を中心とする新年勤行会から出発していくということですね…

正本堂:覚え書き

1960-01-01 日本人なれば、元朝にあたって思いおこすものは、旭日に輝く富士山でありますが、その富士山に国立戒壇を建設せんとするのが、日蓮正宗の使命であり、本誌大白蓮華の使命であることを忘れてはならないと思います。 【日達上人『大白蓮華』昭和35…