牧口先生

大河ドラマ「牧口常三郎」

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座談会の歴史

「大善生活実験証明座談会が行われた時代背景」の記事を訂正する。以下の情報を那由他楽人君から教えてもらった―― 牧口はこうして個人的に折伏をつづけていたが「そろそろ座談会で折伏をやろう」と弟子たちに呼びかけ、戸田の経営していた時習学館を会場にし…

大善生活実験証明座談会が行われた時代背景

座談会がいつ頃から開かれるようになったのか、あまり定かではない。「昭和7年 座談会開催」と記している資料もあるようだが、私の手元にはない。 昭和5年(1930) 『創価教育学体系』第1巻を発行 昭和12年(1937)1月27日 中心メンバーが東京・品川の料亭「…

牧口先生に対し、宗門は「大居士」の戒名を拒否

牧口先生の殉教に対して、宗門は、あろうことか、「獄死」を理由に、先生に「大居士」の戒名を贈ることを拒否した。 葬儀にも、所化小僧一人しか、よこさなかったのである。 戸田先生は逝去後、「大居士」が贈られたが、牧口先生はその後も、「居士」のまま…

『仮面を剥ぐ 文闘への招待』竹中労

牧口常三郎は新潟の人、明治4年6月6日、佐渡をのぞむ荒浜という寒村に、貧しい船乗りの子として生まれた。父親は北海道に出かせぎに行ったまま帰らず、小樽の叔父にあずけられて苦学し、札幌師範を卒業して教員となる。在学中、内村鑑三の著書『地人論』に啓…

九州広布の原点

牧口初代会長が出席して、初の九州総会が開催されたのは、昭和16年(1941年)の秋11月。ちょうど今頃の季節であった。場所は福岡県二日市の武蔵旅館。もちろん、学会の会館などなかった時代である。 その時の参加者は約40人。太平洋戦争勃発(昭和16年12月8…

「物事に間違っていなければ頭を下げてはいけない」

牧口先生は、よく言われた。 「物事に間違っていなければ頭を下げてはいけない。悪に対して負けてはいけない」と。 たとえ相手がどんなに社会的地位が高く、力のある人であっても、自分が間違っていなければ、絶対にへつらったり、馬鹿にされたりしてはなら…

牧口先生、戸田先生の教え《抜粋》

「愚か者に広宣流布の指揮は執れぬ!」 「打てば響くような人間になれ!」 「末法の仏道修行とは、人々が一緒に並んで、一緒に手を組んで、一緒にかけ声をかけながら、勝ち進んでいくのだ!」 「信心を根本として、団結してやっていけば、失敗はない」 「戦…

牧口先生「現在が栄えていればこそ、先人が偉大になる」

牧口先生は、言われていた。 「現在が栄えていればこそ、先人が偉大になるのである。 今が栄えていなければ、先人の偉大さも光彩がなくなるのである」 すべてが弟子で決まる。 弟子の勝利が、師匠の勝利である。 【盂蘭盆の意義を語る 2006-08-06 長野研修道…

「善」とは何か、「悪」とは何か

ある時、一人の青年が牧口先生に質問した。ちょうど60年前の話である。 まだ信心していなかった青年は、こう尋ねたという。 高い次元における善悪を、どうすれば凡人が判断できるのでしょうか? 「善」とは何か。「悪」とは何か。善悪をどう判断していけばよ…

牧口先生「大善の光明に照らされると、悪の正体は暴露される」

牧口先生は、“大善の光明に照らされると、悪の正体は暴露される”と述べておられた。 小善の前では、悪の存在は大して目立たない。しかし、大善を前にすると、その狂いが明らかになる。 それはあたかも、人が暗闇から急に太陽の下に出ると目がくらみ、強烈な…

三類の強敵を呼び出だす信心

太郎●創価学会の牧口常三郎初代会長、戸田城聖第二代会長が、日蓮大聖人の教法にめぐりあわれたのは、昭和3年(1928年)のことだった。 二郎●日本一国が国家神道に染められ、狂奔の歩みを始めた頃のことだった。 太郎●戦前は創価教育学会と称し、牧口常三郎…

創価教育学体系

実は、牧口先生の『創価教育学体系』の草稿は、現職の小学校校長としての激務の中で、時間を生み出しては、広告の紙や封筒の裏、反古紙(ほごがみ)などに書きつづられたものだった。 何事も整った環境や形式がなければできないというのでは、本物の戦いでは…

牧口先生の指導

貯金も結構であるが、貯めるものは金ばかりではない。世間には金を貯める名人は多くいるが、思想を大事にする人は少ない。しかも、思想には金以上に翼が生えていて、機敏に捉えないと、直ぐ飛び去ってしまう。 それも、がらくた思想なら、飛び去ろうと構わな…

牧口先生の尋問調書

問い●王仏冥合一天四海皆帰妙法という事は、上は陛下より下国民に至るまで日蓮正宗の本尊に帰依することなりや。 答え●左様であります。今まで申し上げたとおり、陛下も国民も一人残らず日蓮正宗の御本尊に帰依する事であり、久遠本仏の御心に従って国家が治…

柳田國男の証言

若い者を用(つか)って熱心に戦争反対論や平和論を唱えるものだから、陸軍に睨(にら)まれて意味なしに牢屋に入れられた。妥協を求められたが抵抗しつづけた為め、牢の中か、又は出されてか直ぐかに死んでしまった。宗祖の歴史につきものの殉教をしたわけ…

価値論の淵源

『価値論』が『創価教育学体系 第2巻』に収められていることを、今回、初めて知った。「価値論」という言葉が、それ以前に使用されていたのかどうかが、気になり、「牧口常三郎・戸田城聖とその時代」の運営をされている、てんてんさんに掲示板で質問した。…

不善は悪

不善は悪であり、不悪は善である。いずれもその最小限ではあるが、そうであることに変わりはない。 このように、不善を善と考え、悪と違うと思い、法律に触れさえしなければ構わぬと誤解するところに現代の病根があり、独善・偽善の主義が横行する原因と理由…

小善と大善

小善に安んじて大善に背けば大悪となり、小悪でも大悪に反対すれば大善となる。 【『牧口先生指導要言』辻武寿編】 非常に数学的な概念である。1×(−100)=−100である。そして、(−1) ×(−100)=100ということだ。 聖教紙上座談会などの言葉づかいの悪さ…

美利善

損得にとらわれて、善悪を無視するのは悪である。好き嫌いの一時的、刹那的であるのに対して、利害・損得は永久的であるように、利害の個人的であるのに比べれば、善悪は全体的であるからである。 【『牧口先生指導要言』辻武寿編】 価値論その二。「好き嫌…

好き嫌い

好き嫌いにとらわれて利害を忘れるのは愚かである。いわんや善悪を忘れては尚更である。 損を好み、得を嫌う人間はいないはずだが、遠見のできないためにその弊に陥る者が実際生活にはたくさんある。 各種の生活問題を漫然たる感情によって処理しようとし、…