組織

組織伸長が抱える課題

ユマニテの記事から思索してみる。 〈社会と宗教〉組織論・組織伸長が抱える課題 布教こそ宗教の生命線である。なぜなら信仰によって得られた歓喜は、一個人の内面にとどめておけるものではないからだ。また、周囲に悩める友がいれば、自然な振る舞いとして…

『社会と宗教』〜組織論

ユマニテの「〈社会と宗教〉組織論・宗教組織の二面性」を読んで感じたことを記す。勝手ながら、同ページから引用させていただいた。私は未読。 ついこの間に出たような感覚があるが、何と四半世紀も前であった。1985年の発行というと、ちょうど全国で文化祭…

組織と信仰

信仰は人間を自由にする。組織は人間を束縛する。何のための組織か? 人間のための組織ではなく、組織のための組織になってないだろうか。組織の拡大は広宣流布とは似て非なるものだ。幸福の拡大を見失って組織拡大に傾いた時から、学会全体の信心は弱くなっ…

宗教の功罪

人類、生命といった普遍的価値――高等宗教も、まさにそこを志向している。 ゆえに、そうした「宗教」は「国家」の権力も、他のいかなる権威をも超越する。それらに屈しない人間をつくっていく。 東欧の変革の底流にも、ポーランドを始め、「宗教」の土壌を背…

孫文「害を除くのは急がねばならぬ」

中国革命の父・孫文(そんぶん)は、国を衰亡させる愚行を呵責(かしゃく)し、「害を除くのはとくに急がなければならぬ(伊藤秀一訳「心理建設」、『孫文選集 第2巻』所収、社会思想社)と訴えた。 戸田先生も、まったく同じ思いであった。 悪は早く見抜け…

聖教新聞九州版「地区革命」

九州で地区部長をされているUさんからの声 小野さんが、九州版まで読んでいたとは(笑)。 地区強化のホシも長編詩にあることを痛感しますとあるが、もうそれは皆さんが読まれ実行しているから色んな課題が出ているわけで、そんなのは百も承知で、現場はその…

聖教新聞九州版「地区革命」10

最終回は田村九州長へのインタビュー。特に取り上げるべきところもなく、読むだけ時間のムダだ。 九州版で連載された「地区革命」の企画それ自体は好ましいものだった。だが、結局のところ幹部の官僚主義を再確認する結果となった。最大の功績はアンケートを…

聖教新聞九州版「地区革命」9

中心者のあり方 組織発展のホシ――それは一(いつ)に中心者の“境涯の拡大”にかかっている。これまでの取材とアンケートをもとに、中心者に求められる姿勢を10項目に分析してみた。 で、その10項目というのが以下―― 1.強盛な祈り 2.明確な目標 3.率先垂範 4.…

聖教新聞九州版「地区革命」8

拡大の最前線 弘教や聖教拡大の喜びは、何ものにも代えがたい。“この歓喜を、皆に味わってほしい”との願いと、広布の展望の上から、目標は設定される。 ところが、地区の現場ではこんな光景も。 「目標まで、あと5部」。地区新聞長の声。締め切りは近い。マ…

聖教新聞九州版「地区革命」7

「時間があるので、一言発言をお願いします」 一人の参加者を、司会が指名した。うつむいた壮年。話したくなさそうだ。雰囲気を察知した地区部長が、「頑張りましょうね」と“助け船”を。会釈して壮年は座り直したが、重い空気が漂う。 ――座談会で時折見られ…

聖教新聞九州版「地区革命」6

第6回目の見出しは「地区協議会の充実」。 協議会は、地区の伸展を決する生命線と言えよう。 一方、現実の課題もある(アンケート)。 「伝達や説明に追われて、協議を深める時間が取れない」「参加者の顔ぶれが同じ。新鮮味がない」「意見や要望が出ない。…

聖教新聞九州版「地区革命」5

冒頭部分を紹介しよう。 副役職の大使命 地区の底力を発揮するには、副役職の友の支えが不可欠である。ところが今、最前線では埋もれている“副”も少なくない。高齢、仕事が多忙などの理由もあるだろうが、要は最前線に心が向いているかどうか。 “正”の率直な…

聖教新聞九州版「地区革命」4

タイトルに大笑い。「“男の連帯”築く挑戦」(笑)。九州男児は「男」という言葉に弱いのか? 紙面は完全に官僚モード。行間から漂ってくるのは「命令」の臭いだ(笑)。鼻をつまみながら読んだ。 「婦女一体の戦いは成功した」という前提で、壮男の取り組み…

聖教新聞九州版「地区革命」3

リーダーの育成 一人の百歩前進より、百人の一歩前進! 友を奮い立たせるリーダーの使命は大きく、尊い。一部には「先駆長が不在」「白ゆり長は仕事で動けない」(アンケート)等の現実もある。“宝の人材”を育むカギはどこにあるのか……。 未活動の壮年が、小…

聖教新聞九州版「地区革命」2

活動者の拡大は、家庭訪問にかける時間と労力の結晶と言えよう。一方で「会合に追われて会員を回れない」「玄関先での連絡で終わる」(アンケート)との課題も。 連載は早くも2回目で失速する。模範の地区部長と地区婦人部長の活動状況が紹介されている。図…

聖教新聞九州版「地区革命」1

九州版で10回に渡って連載された「地区革命」の特集記事が完結した。地方版といえば、各地のダイジェスト記事や人事紹介で紙面が埋められているのが普通だが、九州の新たな試みに注目したい。 昔であれば、幹部用小冊子『前進』などで、こうしたテーマは取り…

組織とは秩序である

組織には必ず目的があり、目的遂行のための系列・系統によって成り立っている。つまり秩序である。組織に自由はない。役割分担が決まっていて、自分の役目を果たすことが最優先事項となる。例えば人体の場合、くるぶしが勝手に心臓の真似をすることは出来な…

人事の基本は実力主義

いかなる人を指導者に選ぶべきか。いかなる人を真のリーダーと呼ぶべきか。ここに、社会であれ団体であれ、その未来を決定する最大のポイントがある。 決して、名声や家柄だけで判断してはならない。現実に、力はあるのかどうか。一個の人間としての輝きがあ…

官僚主義を許すな

学会も絶対に官僚主義になってはならない。 永遠に、ただ「広宣流布」を目的とする「同志」と「同志」の団結の姿でなければならない。そこに学会の永遠なる発展がある。 皆で円陣を組むようにすれば、あらゆる角度を向き、しかもあらゆる人が第一線である。 …

学会は、ピラミッドではなく「同心円」の組織

学会の組織は、いわゆるピラミッドではない。全員が「妙法」の前に平等である。その上で、敢えて例えればかねてより申し上げている通り、中心者を囲む“同心円”といえよう。 宇宙もまた、中心を巡る無限の回転である。衛星は惑星の周りを、惑星は恒星の周りを…

「創業は易く、守成は難し」

「創業は易く、守成は難し」(新たに事業を創ることはやさしく、事業をよく守り完成させることは難しい)と言ったのは、唐の太宗(李世民/りせいみん)である。 しかし実は、「創業」も「守成」も、どちらも容易なはずはない。太宗の言を受けて『言志四録(…

「同志の心」が隆盛への熱きエネルギー

いかなる団体にせよ、志を同じくする「同志の集い」は強い。この「同志の心」がみなぎっている限り、それが隆盛への熱きエネルギーとなる。 反対に、無責任な「雇われ根性」や、また出来上がった結果に安住する保身的な「権威主義」が、はびこり始めれば、も…

微小なマグマがネットワークをつくり爆発に至る

ところで、火山活動を起こすマグマの成り立ちについて述べてみたい。マグマとは、地下深くで生まれる溶融状態の物質のことをいう。高熱・大量のマグマが一体となって上昇し、地上に噴き上げる現象が噴火である。そうしたマグマは、どのように発生するか。 何…

「苦労してきた人ほど報われ、顕彰される」世界を築け

ドローゴの場合は、長年務めた挙げ句、いざ“栄光の時”を向かえた途端、苦労知らずの連中に放り出されてしまった。 我が創価の世界には、そうした不当な無慈悲の振る舞いは、片鱗だにもあってはならない。私も絶対に許さない。 陰の労苦もなく、若くして、ト…

実力、人格、内実を基準とせよ

さて、今はテレビ時代。このテレビとともに生きてきた世代を「“どう見えるか”の世代である」と言った人がいる。つまり何にせよ、その「内実がどうか」というよりも、「どう見えるか」を基準にしてしまう傾向が強い、というわけである。 確かに「どう見えるか…

“不純物との戦い”に挑め

今日、申し上げたいことは、純一なる信仰の世界を守り抜くために“不純物との戦い”に、ともどもに挑んでいかねばならないということである。清純であればあるほど、わずかの“不純”でも、大きな“乱れ”の因となり、やがては広布を破壊しゆく重大な要素となって…

「現場」をおろそかにしたところは滅ぶ

ともあれ、このエピソード(ベルリン天文台のJ・G・ガレが海王星を発見。しかし、ガレより、234年も前にガリレオが海王星を観測していた。その上、現代天文学よりも正確な位置を記録していた)が印象的に物語っていることは何か。それは、「現場」を第一に大…

一人ひとりの意欲が一切の原動力

組織といっても根本は人間である。一人ひとりの意欲こそが一切の原動力である。それを忘れた時に、すべては行き詰まってしまう。 【『新・人間革命』「友誼の道」32/聖教新聞 2007-06-07】 参加者全員の意欲を掻(か)き立て、引き出せる会合でなければ、参…

汝らの持場を守れ

「わがともがらよ、兄弟たちよ、汝らの持場を守れ」 イタリア・ルネサンス期の大詩人アリオストの叫びだ。 人間の尊厳のために、断じて守り抜くべき場所がある。 正義の栄光のために、断固と勝ち抜くべき闘争がある。 【「世界の大学への道」11 イタリア ボ…

磐石な組織をつくれ

創価学会の組織を隅々(すみずみ)にいたるまで堅塁に──これが戸田先生の決心であられた。 「隅々まで」である。どこか一部ではない。 さらに戸田先生は、こう綴っておられる。 「人の休んだり、遊んだりする時間を、自分は仏様の為に使ったら、これこそ末法…