持続の中断は「信」の敗北

 持続なき「信」は「信」ではない。持続の中断は「信」の敗北であるからです。間断なき実践の切磋琢磨のみが、かならず自身の内に、生命の清浄な火を得て、その火はやがて、万人の胸中にも点火されていくのである。


【『御書と四条金吾』 1975-05-03発行】


「生きる」とは持続の異か。呼吸・脈動・食事・排泄等々、生命に関することは、例外なく日々の営みを必要とする。勤行唱題をさぼるとか、さぼらないなどと言ってる内は、生命の外側で信をしているのかも知れない。