民衆は手応えを求めている

 いつの世も、民衆は、リーダーに対して確かな「手応え」を求めている。ゆえに指導者は、人々の労や人情の機微がわかる人でなければならない。打てば響くがごとく鋭敏に、また丁寧に、一人ひとりの「」に応え、行動していくべきである。こうした指導者がいる限り、人々は幸せであり、広布は磐石な発展を続けていくであろう。反対に、反応なき鈍なリーダーには、人々はついていかない。組織の生き生きとした脈動も止めてしまう。そのようなリーダーは、結局は無慈悲な存在といわざるを得ない。


【第5回本部幹部会 1988-05-22 創価文化会館


 こうした指導を読む度に、「内の幹部は駄目だな」なあんて、の中で批判する人々が最近増えているようだ(笑)。御書や指導を、自分のの外に置いて読んでるようじゃ駄目。飽くまでも、自分自身を照らす指針としなければ味がない。


 いつも打ち出しだけを叫び、一方通行の会合に終始していれば、集った人々はどんどん受け身になってしまう。いつしか、小さな悩みなどが言いにくいムードが蔓延し、幹部のあずかり知らないところで、しむ人々が出る。


 最近の座談会なんかは、式次第を忠実にこなすのが流行している(笑)。全員発言のない座談会は危険だ。皆が嬉々として集い、自由闊達に体験を語り、決を述べるのが座談会のセオリーだ。


 これは青年部時代の話である。分区の部長会で、「どこか、盛り上がってない座談会はないか? 俺が行って、必ず盛り上げてみせる」と私は豪語した。一人の副部長がおずおずと手を挙げた。聞けば、お年寄りが多く、地区部長も出たり出なかったりであるという。青年部もいなくて、何をやっても盛り上がらないという。私の中で“ミスター座談会”の血が騒いだ(笑)。


 気揚々と乗り込んで行ったが、唖然とした。平均年齢が75歳ぐらいだったのだ。さすがの私も一瞬、青ざめた(笑)。しかも、私が話そうとしていたのは、中学生文化新聞に連載中の「希望対話」だった。地区部長が仕事のため、冒頭に御書講義を行い、職場に戻っていった。


 で、私の話となった。私はどこの座談会へ行っても必ず、発言してない方に質問することを掛けていた。「先生は、この指導の中で“希望”について教えて下さってます。それでは逆に、どういう時に絶望をじますか? はい、そこのお母さん」。私がを掛けたおばあちゃんは、きょとんした顔のままだった。すると、隣に座っていたおじいさんが、元で叫んだ。「どういう時に絶望をじるか、だってさ」と。「エッ、あ、なあんだ、聞こえてなかったの?」と私が素っ頓狂なを挙げると、皆が爆笑。この他にも数人の方が通訳を必要とした。中には酸素ボンベを引いて参加されている方もいた。何人かの方々とやり取りしている内に、異様な盛り上がりを見せた。寒い季節だったが、何とも言えない温かな雰囲気に満ちた。


 座談会が終わるや否や、私は玄関先へとすっ飛んでいった。上がり框(がまち)の高い古いお宅だったので、下足を取ってあげるためだった。靴を手渡し、肩に手を掛けて皆を見送った。皆、明るい表情で帰路についた。


 地区婦人部長と支部婦人部長が、「こんなに盛り上がった座談会は初めてです。本当にありがとうございました。是非、また入って下さい」と言った。だが、本当は私の力などではなかった。私はただ、皆のを聞こうと努めただけだった。盛り上がってない組織というのは、皆に遠慮をさせているだけだと痛した。


 本日、我が地区の座談会座談会一筋で20年以上やってきたものの、反省しきりである。


 昨夜、私との約束をすっぽかした地区副リーダーが涼しい顔をして座談会に来た。終了後、厳しく注。あまりにも厳しくやってしまったために、先生から頂戴したネクタイをプレゼントして激励(笑)。