日興上人の高弟も退転

 日興上人は、この「弟子分帳」の中で退転、反逆者の者に対しては「背き了(おわ)んぬ」等と明確に記され、厳しく断罪されておられる。私も入信間もないころ拝読し、日興上人の信に対する厳然たる姿勢に胸打たれた一人である。
 ところで「離反・破門」の弟子は66人中12人に及ぶ。割合でいえば約18%となる。
 この「弟子分帳」に記された門下は、信強盛と目された人たちであった。しかし、その中においてさえ2割近くの弟子が離反しているのである。
 また、「弟子分帳」の中の退転者の内訳(うちわけ)をみるとき、いわゆるの通った、また社会的階層の上の門下ほど違背の者が多い。
 社会的な地位とか、また組織上の役職の上下のみによって、信の深さは決まらない。
 かえって地位や財力や立場にとらわれて信を見失い、保身に走り、退転の坂をころげ落ちてしまうことは、まことに怖いことである。
 しかし、それとは対照的に、日興上人が「在家人弟子分」と位置づけられた農夫などの庶民の門下17人の中には一人として背信の者は見当たらない。
 この中には、殉教の誉れの勇者である「熱原の三烈士」(神四郎、弥五郎、弥六郎)も含まれている。


【第5回本部幹部会 1988-05-22 創価文化会館


 歴史に残る指導の一つ。昭和63年のこの頃、電話回線を利用した同時中継は各方面の主要会館でしか行われてなかった。東京でも、まだ総合本部で1ヶ所だったと記憶している。私がいた旧第6総合(荒川・墨田・江東)でも、荒川文化会館だけだった。


 宗門問題が起こる一年半前の指導である。先生は宗史に残された厳然たる歴史をひもときながら、日蓮正宗が葬式教化していった事実を明らかにされている。“僧侶が上で、信徒が下”という目に見えない壁を打破されようとしていた。


 先日、ある男子部と懇談していたところ、「昔は、あんなに頑張っていたメンバーが、今は何もやってないと知り、驚きました」と語っていた。私はすかさず切り返した。「『あんなに頑張っていた』なんて言ったって、どうせ、会合に出てたとか、ちょっとばかり華々しい結果を出したって程度なんだろ? 結局、信が弱いということに尽きるのだ」と。


 信とは、妙法への帰命(きみょう)であり、広布への死身弘法の覚悟である。我が胸中にあるを信じて、社会の中で開花させるところに信の王道がある。先生は、「自らを信じよ! 卑下するなかれ! 卑下は法への違背だ。胸中の界への冒涜だからだ」(「祈りは勇気」)とも指導されている。だから、自分を信じることのできない者は、相手を信じることもできないから、結果的に折伏ができなくなる。


 上流階級に退転者が多かったのは、階級によって自分を飾り、信即生活という人間革命の軌道を外れてしまったためだろう。六老僧においては、実に日興上人お一人という有り様だった。つまり、現代においても、“先生に近い”ということをある種の権威にして、自分を大きく見せようとする幹部は五老僧の末流といえよう。


 どこに存在しようとも、人生の終局まで、「日蓮が一門となりとをし」(1360頁)た人のみが、大聖人直結であり、本物の池田門下生である。