題目の人こそ真の弟子

 学会がこれだけ大きくなると、一人ひとりにお会いすることは不可能に近い。だが、この私のを知って、日夜題目を唱え、王冥合のために戦っている人は、既に私と会っているのと同じであります。同志とは同じ志(こころ)に立つということであります。その人こそ、私の最も尊敬する、の通じ合った同志であります。その人の人間としての価値は、役職によって決まるものではない。真面目に信し、自己の使命を全うし、己の妙法を湧現し、人間革命し、宿命転換してゆく人が、最も尊い人であり、勝利の人生を開いている人であると私は言いたいのであります。
 妙法の眷属であれば、上げ潮のごとく福運がついてまいります。いかなる立場の人であっても、見せかけの信であり、利にとらわれるならば、の眷属となり、引き潮のごとく、福運が消滅してゆくでありましょう。いかに地味な活動であろうが、どんな境遇の実践であろうが、真面目に、純粋に、水の流れるがごとく、信を貫き通した人が、大聖人のご称賛にあうということを知っていただきたい。また、大聖人の、学会本部の指導通りの信、実践でいく人は、真実の大聖人の弟子であり、創価学会の宝であります。したがって、いよいよ求道を旺盛に、受動的な信ではなく、能動的な信に立っていただきたい。


【中部本部幹部大会 1967-07-10 古屋・金山体育館】


 入会して間もない頃、私の父は旭川の地で、先生が出席された会合に参加することができた。先生が退場される際、会場の人々が「先生ぇーっ!」と近寄ってきた。父は、誰から言われるともなく、先生に背を向けて周囲の人々の整理にあたった。先生は、無の青年の自主的な行動を見逃さなかった。父の後ろを通った時、背中にそっと手を掛けられた。「何とも言い情が湧いてきて、俺の人生はあの瞬間で決まった」と語っていた。それから父は、新入会でありながら輸送班の一員となった。更に、長年にわたって通信員をしていたこともあって、聖教本社の幹部の大半と顔馴染みだった。それをいいことに、東京の会合でも顔パスで入れたそうだ。が掛かってないにも関わらず、一人で勝手に先生の警備をしたことも多々あったという。


 私の父は大幹部ではない。現在は副本部長で、青年部時代は総B長を務め、その後、引っ越しをしたので、最終役職は副部長である。北海道という最果ての地にいながらも、父は先生と何十回も出会いを重ねた。幾度となくを掛けて頂き、「君は私と同行しなさい」と言われて随行したことも、しばしば。先生に個人指導も受け、奥様と3人で勤行をしたこともある。


 こんな話を3年前に初めて聞かされた。いやはや、驚かされた。さっさと言えよ。


 父は題目の鬼である。私が子供の時分から、我が家では夜な夜な深々と祈るが響いていた。10年ほど前からは一日5時間ぐらいあげているようだ。どんなに少なくても、3時間はやるというから凄い。


 その祈りに包まれて、私を筆頭とする6人の子供は、学会の庭で育った。完璧な広布後継は、総区副青年部長、〈県〉副青年部長、〈県〉副青年部長、副本部長、本部長、部長という姿となって結晶した。


 父は、座談会の担当幹部をつかまえては、「子供は何人いるんだ? 全員、活動してるのか?」と訊ね、「子供に信もさせてないくせに、今日はどんな話をするんだ?」と言い放つそうだ(笑)。そりゃあ、威張り過ぎだよ。