ポスト三代会長の基軸


 第58回本部幹部会(牧口記会館 2006-03-09)は歴史を画する会合となった。“創価の師弟”のあるべき姿を確認し、池田先生を中とする三代会長が“永遠の師匠”であることを宣言した内容だった。


 ここに正木壮年部長の指導を記し、「ポスト三代会長(三代会長以降)」の基軸を見失うことなく、“最後の池田門下生”として、使命の完遂を誓い合いたい。

壮年部長アピール


【正木壮年部長/聖教新聞 2006-03-04付】

 35日は、壮年部の結成満40年の記日です。戸田先生との師弟の誓いを果たすため、半世紀を超える激闘を続けてこられた池田先生があってこその学会であり、私たちです。今こそ弟子として、断固たる連続勝利の実証をもって応えていきたい。
 先生の今の戦いは、一言でいえば、「末法万年にわたる広宣流布の将来を見すえ、万代に揺るがぬ創価学会の基盤を確立する」との一点に集約されるといます。
その骨子は二つ。一つは、三代会長の師弟の魂を永遠の原点として残すことです。
 かつて先生は、“教がインドでなぜ、滅んだか”について索を続けたネルー首相が至った結論――“陀の神格化が行われたためである”――を紹介し、次のように語っています。
「本来、教は『人間の生き方』を説いたものであった。『このように生きよ』『人生をこう生きよ』と、我が身で教えた。そこには師弟の道があった。しかし、いつしか『人間・釈尊』は権威化され、人間を超えた神になっていった」
「『』とは、ありがたく礼拝する対象であっても、『その生き方に続く』存在ではなくなった。師弟の道も見えなくなった。教が『人間の生き方』でなくなったとき、インドでは、教は死んでしまった」
 広宣流布を目指す信仰と、ただ拝んで幸せになろうという信仰の違い、また創価学会日顕宗の根本的な違いもここにあります。
 創価学会は、を師弟の道でとらえた。師の生き方に続くのが、弟子の道です。釈尊との師弟、日蓮大聖人との師弟、そして折伏の闘将である三代会長との師弟の道の中にしか、生きた教は存在しないという信仰の根幹を自らのものとし、不二の実践を貫いていきたい。
もう一つの骨子は、新たな人材の育成です。
 年頭の全国総県長会議へのメッセージには、「『堅実な発展』を新しい合言葉として」「わが県は、これだけ堅実に発展したという勝利の実証を」とありました。
「堅実な発展」とは、何か。それは、新たな人材を育てることによって、広布を拡大していくことに尽きるといます。
 この戦いで、誰を育てるのか、どの人に壁を越えさせてあげるのか――その視点があるかないかによって、同じ活動をやっても、結果は全く違ってきます。
 先日、出席した東京・世田谷区の会合で、男子部副本部長の活動報告を伺いました。一昨年折伏した4人の友人と、その一人が折伏した友人の新会員5人全員が任用試験に合格し、さらに今年、二人が初めての弘教を実らせたという内容です。
 この7人の新会員の誕生で、地区の雰囲気が一変。勢いのある朗らかな前進をしているといいます。
 尊いのは、一人ひとりを大切にし、共に祈り、共に行動する中で、全員が任用試験に合格するまで育てた方々です。
 折伏が忙しいから人材を育成している時間がないという考え方は違う。むしろ、新しい人材の育成即広布拡大であるととらえ、「号令をかける人間が人材なのではない。人材をつくる人間が、人材なのである」との指導を肝に銘じて、新たな人材の育成に取り組んでいきたい。
 特に壮年部としては、近年、家庭訪問、個人指導の地道な実践によって、本当に、新たな活動者が数多く育っています。
 また、各地で太陽会の充実や、ヤング壮年育成の取り組みの素晴らしい伝統が築かれつつあります。
 さらに、「集う十勇士から戦う十勇士へ」とのスローガンのもと、聖教購読の推進に挑戦する地区も多く誕生しています。
 この「戦う壮年部」の素晴らしい流れを一段と強くし、壮年部の3モットーである「生涯求道」「職場で勝利」「地域貢献」を実践し抜く、力ある人材を陸続と輩出していきましょう。

第3回ドイツ最高会議


【ドイツ・フランクフルト近郊 1994-05-24

 偉大なる教が、インドで、どうして滅んだのだろうか。この点について興味深い観点がある。
 ネルー首相は、教滅亡の理由が、ずっと疑問であり、考え続けてきたという。
 アンドレ・マルロー氏に会ったとき、ネルー首相は、索の結論を氏に語った。
 マルロー氏とは私も二度、対談したが、教に深い関を寄せておられた。ヨーロッパに将来、教を基盤とする文明が生まれる可能を否定できないとも語っておられた。
 ネルー首相の考察は次のようであった。
陀の天才は、あくまでも陀が人間であるという事実にもとづいていた。人類の生んだもっとも深遠なるのひとつ、剛毅な精神、このうえなく崇高な惻隠(そくいん=慈愛)の情。さらには、神々にたいしてまっこうからこれと向きあった告訴者の態度」
「しかし陀の神格化が行なわれたとたん、陀その人はこの神々と同列にくわえられ、姿を没してしまった」(アンドレ・マルロー著『反回録』、竹本忠雄訳、新潮社刊)


 釈尊は、あくまで「人間」として生き、神々にも強く訴えた。
 日蓮大聖人も、諸天善神である八幡大菩薩を「諫暁」なされている。神にすがるのではなく、“妙なる法”を持(たも)つ「人間」として、神を動かされたのである。


 本来、教は「人間の生き方」を説いたものであった。
「このように生きよ」「人生をこう生きよ」と、我が身で教えた。
 そこには師弟の道があった。
 しかし、いつしか「人間・釈尊」は権威化され、人間を超えた神になっていった。
 今でもインドの多くの人々は、釈尊を尊敬してはいるものの、ヒンズー教の神々のひとりのように、あがめているようである。
」とは、ありがたく礼拝する対象であっても、「その生き方に続く」存在ではなくなった。
師弟の道も見えなくなった。
 教が「人間の生き方」でなくなったとき、インドでは、教は死んでしまった。
 ――これがネルー首相の結論であった。
 今、宗門にも、「人間の生き方」としての教は、まったくない。彼らは、大聖人の法を、「人間はこのように生きよ」という教えではなく、自分たちを権威づけるための飾りにしてしまった。
 自分たちの堕落を正当化するための手段にした。
 法の滅亡の姿である。


 そもそも日蓮大聖人の戦いも、ある面から言えば、「教を人間化する」戦いであられたと拝される。人間の実生活から遊離していた教を、人間の手に取り戻し、現実の生活法として教えられた。
とは、人間(凡夫)である」
「人間(凡夫)こそ、である」
 こう叫ばれた。
 当時、日本でも、阿弥陀とか、大日如来とか、「」を遠い、超越的なものとして説く教が流行していた。
 また法華経でのも、一般には、人間とはかけ離れた存在としてとらえられていた。
 それらを大聖人は逆転された。
日蓮論”の的な義も、ひとつには「教の人間化」にあったと拝される。
 諸法実相抄には、「凡夫は体の三身にして本ぞかし、は用(ゆう)の三身にして迹なり」(1358頁)――凡夫は本体としての三身であり、本である。は、(本体の)働きとしての三身であり、迹である――と仰せである。
 詳しくは論じないが、大聖人の重要な法門である「観心の本尊」も、「字究竟(みょうじくきょう)」も、「等覚一転字妙覚」も、「凡夫即極」も、「教の人間化」という観点から見るとき、その深義に、より迫れるかもしれない。
 妙法を信じ、行じる「人間」こそが「」だということである。妙法の「信」にこそ「界」はあるということである。


 それでは、どのような「人間」が「」なのか。どういう生き方が「」としての生き方なのか。
 日蓮大聖人が教えられたのは、「社会の中で三障四魔と戦い、打ち勝っていく」人生である。
 妙法のため、人間のために、広宣流布に生き抜く人生である。
 そして大聖人自ら、その模範を示されたのである。
 その道に続いているのがSGIである。皆さまである。皆さまこそ「」と輝く方々なのである。


 創価学会は、大聖人の御精神通り、法を「生活の中で」「人間の生き方」として実践してきた。
 大聖人が教の原点に返られたように、創価学会が大聖人の法の信の原点に返ったのである。
「人間」に帰ったのである。
 あるとき、戸田先生は、ひとこと、我々の信は「人間宗」と言われた。徹底した「人間主義」こそが、大聖人の法なのである。

第58回本部幹部会


【正木壮年部長/東京牧口記会館 2006-03-09】

 全国の戦う壮年部の皆さん、結成40周年を記する全国壮年部幹部会の開催、まことにおめでとうございます。
 池田先生昭和41年(1966年)35日、壮年部結成の際、「広宣流布の総仕上げに入った段階では、経験、年功、分別をもった壮年部の活躍が重要です」と強調されました。
 この“広布責任世代”のメンバーこそが「まことの時」ともいうべき今、続々と立ち上がり、池田先生との師弟共戦の誓いを果たすべく、全国、そして全世界190ヶ国・地域の地で戦っています。
 本日は、全国の壮年部同志のいを、そして、ここに集った全ての皆さまのいを込めて、学会の磐石な発展のため確認をしたいといます。


 創価学会は、三代の会長によって、根本的な広宣流布の土台ができ上がりました。この初代、二代、三代の会長が、永遠に学会の魂です。
 この三代会長の精神を、これからの代々の会長も当然のこととして、全幹部が受け継ぎ、世界の広宣流布へ邁進していきたい。これこそ創価学会の永遠の規範であると確信をします。
 えば、初代、二代、三代の会長が、日蓮大聖人の法の大精神を継承してきました。我々は全員、三代の師匠の弟子です。
 秋谷会長も当然のこと、これからの代々の会長も、この三代の師匠の弟子です。これが学会の方程式であり、この精神こそ戸田先生の遺言なのであり、学会としての根本の遺誡です。


 来るべき316日、この日は、学会の広宣流布の原点の日です。そして更に42日、53日へと続いていく。
 ここにおいて、何よりも師弟という学会の根本の精神の継承が最も大事です。
 316日は、青年部の永久の広宣流布の魂を継承する日です。42日は、戸田先生のご命日であり、全世界の会員が、更に広宣流布を深く誓い、師の遺言を果たすために、大前進を決すべき日です。
 そして、53日は、戸田先生の第二代会長就任の日であり、更には、直弟子である第三代会長・池田先生の会長就任の日です。
 最も師弟の精神が凝縮するこの時に、私達は我が生命に深く刻み付けたい。


 牧口先生戸田先生池田先生、この三代の会長によって現在の世界の創価学会の大基盤はでき上がった。そして、この偉大なる三代の師匠を、創価学会は永遠に根本としていく。
 三代の会長こそ、大聖人の法の証明者であり、この三代の精神に続いていくことこそ、師弟不二の道であり、最も大事な、最極の道であり、これこそが大聖人に直結する道であるからです。
 どんな時代が来ても、代々の会長が、何代、何十代と続いても、この三代の会長の指導通りに進めばよい。この三代の原点を忘れなければ、学会は永遠に栄え、また、最大に栄光と勝利の前進をしていくことができる。こう確信をします。


 私達壮年部は、“広布責任世代”の誉れも高く、敵に対しては、猛然と戦い挑み、断じて粉砕をしていきたい。そして、池田先生と行動を、世界に、万代に宣揚し、継承すべく、本日より怒涛の大前進を開始しようではありませんか。

次のリーダーを育てることが本因妙

 指導者となる人物を見つけて、育てることが、一切の戦いに先手を打つ根幹になる。それが無限の未来へ向かって逞しく成長し、絶えず勝利への因をつくっていくことにもなる。これが本因妙である。


【『指導メモ』 1966-06-01発行】


 どんなに強い組織であっても、中者が2人、3人と変わると、どこにでも転がってるような組織になってしまうものだ。人材育成の流れをつくるのは、それほどしい。


 学会の組織は、壮婦男女という四者別の活動が基軸となっている。本来は衆生世間の相違を生かすための各部である。だが今、男女青年部による人材育成が困な状況となりつつある。


 女子部の場合、若くしてトントン拍子で本部長や区女子部長になってしまった幹部が、折伏も指導もできない現実があり、婦女一体という方向へ大きくハンドルが切られた。


 男子部も、さほど変わらない状況だろう。四者の中にあって、「いないと困る」ような男子部幹部は、最近、お目にかかったことがないよ。


 先日、婦人部幹部から未来部の現状を聞いたが、未来部をどうのこうのと言う前に、担当者を何とかするのが先だ。


 ダイヤモンドは、ダイヤモンドでしか磨くことができない。ダイヤのような人材がいても、木石のような先輩しかいなければ、後輩が光り輝くことは不可能だ。


 この指導を踏まえれば、人が育ってない組織は、敗因を積んでることになろう。


 信組織にあっては、“人を育てる”ことが何にも増して大いなる喜びである。周囲の人々に積極的に関わってゆく中にこそ、菩薩の本領がある。「人材は必ずいる!」そう決めて、血眼になって組織を駆けずり回ることだ。


 我々が“人材育成の達人”とならなければ、三代以降の学会の発展はない。

元祖デマ男 藤原弘達の正体(上)

原田男子部教学部長●あの極悪ペテン師の山崎正友が、また裁判で断罪された。


高木男子部書記長●愛媛県の学会員の男が訴えた裁判だ。「山碕が書いたデマ本で誉を毀損された」と訴えていた。
 横浜地裁は227日、男側の主張を全面的に認め、山崎に対して110万円の損害賠償を命じた。


佐藤男子部長●いかに山崎がデタラメを書き殴ったか。判決は厳しく糾弾している。
「客観的な裏付けが欠ける」「真実とすることはできない」等とバッサリだ。


森山学生部長●そして「(山崎の)違法は決して低いものとはいえない」と断罪した。


竹内青年部長●これで山崎は、何と裁判で12回目の敗北だ。


佐藤●しかも今年に入って4回も断罪された。
 1.公明党の元町議を中傷した事件で17万円の賠償命令(113日、仙台地裁)。
 2.大阪の学会員を中傷した事件で30万円の賠償命令(118日、大阪高裁)。
 3.元部下の男デマで中傷した事件で80万円の賠償命令(123日、東京地裁)。
 そして先ほどの断罪だ。


竹内●たった2ヶで4回も断罪だ。賠償金も合計237万円にのぼる。
 この一点だけでも、どれだけ悪辣、愚劣か! 明々白々じゃないか。


高木●これが、嘘八百で学会攻撃をやってきた男の醜悪な正体だ。化けの皮は全部、剥(は)がれた。


原田●牧□先生いわく「愚人に憎まれたるは第一の光栄なり」だ。
 学会は愚劣な輩から幾多の嫉妬の中傷を受けてきた。それ自体が完璧な正義である証拠だ。


森山●藤原弘達という男がデタラメな本を出して、学会を中傷したこともあったな。


佐藤●昭和44年のことだ。僕も生まれていない昔の話だが(笑い)、デマの構図は今と全く変わらない。むしろ時が経って、より鮮明になる事実もある。
 我々も青年として一度、徹底的に検証しようじゃないか。


竹内●まず重大なことは、藤原は学会本部や公明党に全く取材をせずに本を出したことだ。


高木●何しろ藤原は、学会のことだけで300ページも書いた。それなのに、ただの一度も取材しなかったんだ。


森山●まったく信じられないな! 僕は聖教新聞の記者だったが、たとえ1行の記事でも当事者に直接、事実を確認した。そう教え込まれた。


佐藤●当然だ。それが物を書く人間の常識だ。最低限のルールだ。


原田●中身もインチキだらけ。実際に読んでみたら、一目瞭然だ。
 書きたい放題、デタラメを書いた揚げ句、肝な部分は「〜だろう」「だそうだ」「であろう」と逃げている。


竹内●最初から最後まで「といえるかもしれない」「という見方もできよう」「過言ではないようである」という調子だ。


高木●極めつけは「いるような気がする」「という側面があったことは否定できない」「というようにも理解することができよう」なんてものまである。


森山●馬鹿馬鹿しい。そんな書き方だったら、誰でも何とでも書ける。


佐藤●要するに全部、臆測。ゲスの勘繰りだけ。デマ本の見本だ。


竹内●その上、全くの間違いがワンサとある。
池田先生の青年部時代の役職を間違えるわ。学会の会員数も大幅に間違えるわ。「一事が万事」で、基本的な事実さえデタラメだった。


高木●そもそも編集のプロセス自体が、いい加減だった。藤原本人が白状している。
「私が書くんじゃない、学生のアルバイトを使って、整理して、それをテープで私の味を出すために読みあげるんだ」(『週刊現代昭和45年122日号)と言している。


森山●メチャクチャだな!


原田●要するに、学生のアルバイトにネタを整理させる。それを藤原は読み上げるだけ。あとはアルバイトが活字にする――それだけで本にしたんだな。


高木●当然、評判は最低最悪だった。特に一流の評論家やジャーナリストは皆「最低の本だ」と馬鹿にしきっていた。


佐藤●たとえば、評論家の大熊信行氏。
「はっきりいって、あの文章からは研究のあとがなにひとつ見出せない。学問的な基礎もなければ、背景もない」とズバリ急所を突いていた。


森山●政治評論家の戸川猪佐武氏も“藤原氏の本は、事実を知らないで勝手なことをいう「軽評論」だ”と酷評していた。
 大評論家の大宅壮一氏は“中身がない。パンフレットを引き伸ばしたようなものだ”とバッサリだ。


原田●ゴミ同然の扱いだな。


竹内●そんな本が、なぜ売り出されたのか。
 当時、学会は池田先生の指揮のもと、大発展を続けていた。藤原の本が出た翌年(昭和45年)には「750万世帯」を突破した。


高木●日本中が学会に注目していた。妬みも凄まじかった。そこに目をつけて「学会のことを書けば、嘘でも何でも売れる」と踏んだんだ。


佐藤●戸田先生デマの本質について明確に教えられた。
「学会のことを書きさえすれば、本が売れるという考え方から、ほんとうの根本理を知らずして、書き殴る」と語っておられた。


原田●まさに藤原のことだ。「元祖デマ男」だ。戸田先生は全部、見破っておられた。


森山●いまだに、その残党が何匹かいるな。もう誰からもまともに相手にされないが(笑い)。


高木●だいたい藤原というのは、下劣千万で有だった男だ。
 毎日新聞の記者も「品下劣なやつだ」と吐き捨てていた。


竹内●藤原をよく知る大宅壮一氏なんか、ずばり「エロ達」と呼んでいた。


森山●彼は一時、教授だったが、そこでも評判は最悪だった。
 同僚も「学生にも評判が悪かった。学者としての人間、品に欠けるという評価が多かった」(平瀬己之吉教授『週刊現代昭和45年49日号)と証言している。


高木●こんな事実もある。
 藤原はアフリカ旅行記を雑誌に書いた。ところが、その内容たるや、自分が黒人女を買春した話をはじめ、下ネタばかり。まるでポルノ小説だった。


森山●ローマに行った時も、現地の日本人に「ローマの女と遊びたいから案内してくれ」と頼んで、大顰蹙(だいひんしゅく)を買った。有な話だ。


佐藤●まだまだあるが、あまりに下品すぎるから、やめておこう。


原田●愚劣なやつ! そんなやつが、学会を中傷するデタラメ千万な本を出そうとした。発売の2ヶ以上も前から、広告まで出して大宣伝していた。


竹内●とにかく悪辣(あくらつ)な「言論の暴力」だった。
 中でも許せなかったのは、藤原が学会の婦人部、女子部を侮辱したことだ。


佐藤●その通りだ。藤原は、こう書いていた。
“キャバレーの女の子には学会員が多い”(『文藝春秋昭和38年7号)
“学会の情報網は信者のキャバレーの女中やホステスが主で、その知的水準の低さは……”(『週刊新潮昭和44年31日号)等々、まるで“遊女”呼ばわりだった。


高木●馬鹿馬鹿しい。「水準が低い」のは、確かめもせずに嘘八百を書き殴る、お前の文章じゃないか!


森山●当時のキャバレーについて、ちょっと調べてみた。
「(昭和30年代後半から)安キャバレーが次々と生まれた。お客とホステスは話がつけばホテルに行くようになり、キャバレー自体が堕落してしまった」(福富太郎著『昭和キャバレー秘史』)という実態だったようだ。


原田●藤原が本にも同じようにデタラメを書くのは明々白々だった。


竹内●だから広告が出た後、学会側は藤原に忠告した。代表が藤原に会いに行った。
“学会に関する本を出すなら、極端な決めつけではなく、きちんと取材もして、事実に基づいて書いてほしい”“そのために資料も提供するし、どこでも案内する”と要望したんだ。


高木●当然だ。それが言論人のルールだ。最低限の常識じゃないか。


佐藤●ところが、藤原は全く受け入れなかった。結局、最後の最後まで、一度たりとも学会に取材に来なかった。これが真相だ。


森山●このインチキ野郎!


竹内●藤原! こんな話もある。
 彼は戦後日本を代表する政治学者・丸山真男の“門下生”を売りにしていた。ところが、これもデタラメ。「詐称」だった。


原田●木物の「丸山門下」から“大嘘つき”と糾弾され、正休が暴かれた。
 寺沢一・東京大学教授(当時)も「(藤原は)丸山先生の直接指導を受けたといったようなことはまったくない」と断言していた。


佐藤●要するに、インチキ、女狂い、自己顕示欲の固まり。そういう男だ。
 その藤原が、まともな取材を全くせずに、学会中傷のデタラメ本を書き殴ったんだ。


森山●「どういう人間が」「どのようにして」書いたか。全部、明確だな。


竹内●更に「どういう時期に」「どういう目的で」書いたのか。この本をめぐる舞台裏も、明らかになってきた。
 これについては次回、語り合おう。


創価新報 2006-03-15付】