24時間テレビ


 来る818〜19日に日本テレビ系列の24時間テレビで、ドラマ『君がくれた夏 ガンと闘った息子の730日』が放映される。原作を書いた山崎敏子さんは、神奈川県のヤングミセスの方である。ドラマの殆どが事実に基づいているとのこと。必見。


がんばれば、幸せになれるよ―小児がんと闘った9歳の息子が遺した言葉 がんばれば、幸せになれるよ―小児がんと闘った9歳の息子が遺した言葉 (小学館文庫 や 6-1)
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タッキー&深キョンで夫婦ドラマ…日テレ24時間テレビ 司会に続き主演

 日テレ系「24時間テレビ30 愛は地球を救う」(818〜19日)でメーンパーソナリティーを務める人気ユニット「タッキー&翼」の滝沢秀明(25)が、番組内のスペシャルドラマ「君がくれた夏〜がんばれば、幸せになれるよ〜」(同18日夜)に主演することが19日、分かった。小児がんを患った男児と家族の闘病記を基にした物語で、初の父親役を演じる。妻役には深田恭子24)を迎え、家族愛の尊さを描く。


 タッキーがパーソナリティーに続き、24時間テレビの看板を担うことになった。同番組でのドラマ主演は98年「の扉」、04年「父の海、僕の空」以来、最多の3回目となる。


 今回は小児がんの一種で、10万人に1人といわれるユーイング肉腫(しゅ)と闘い、逝った男児の母親の手記「がんばれば、幸せになれるよ」(山崎敏子著、小学館刊)が原作。タッキー演じる木崎真人は、ともに高校を中退したトキコ(深田)と、できちゃった婚。とび職に就き、2人の子供にも恵まれるが、5歳になった長男・直也が病だと分かる。


 このほど、神奈川・平塚市内でクランクイン。治療費を工面するため、乗っていたバイクを売却する場面の撮影に臨んだ。原作を読んだタッキーは「(文章の)温度がすごく、お母さんの叫びが聞こえて情が震えた」と、いつにも増して硬い表情でカメラの前に立った。


 初めての父親役には「自分も実際に子供がいておかしくない年。役づくりは特に考えず、素直にじたままに演じたい」とタッキー。深田もこれまで出産する役はあったが、子育てするママ役は初めてで「家族のきずなを勉強させてもらい、すてきなお母さんを演じたい」と気込んだ。


 発病から抗がん剤治療、手術、再発…。長く厳しい試練にも負けない直也のに、タッキー&深キョンの若年夫婦が必死で応えようとする。「一言で言えば、家族愛。子供がいるから、親の生きる道が広がったともじた」。自身もぬくもりのある家族にあこがれるというタッキーは「病気のことや家族の大切さなど、温かいメッセージを伝えたい」と誓った。


【スポーツ報知 2007-05-20】

破折精神を忘れた者は生ける屍だ

「悪と戦う」について、戸田先生は厳しくおっしゃった。
「破折精神を忘れた者は生ける屍(しかばね)だ。破折精神を忘れた者が幹部になれば、会員が可哀だ」
 悪を悪と言い切る。敢然とをあげる。その勇気なきリーダーは「生ける屍」だ。
 その本質は見栄であり無責任だ。しむ人を見ても“知らん顔”をする。これほど“ずるい”ことはない。
 悪と戦い、ずるいと戦う。これが人生勝利の根本である。
 ある時には幹部に対して、「広宣流布の途上にあって、絶対に五老僧のごとき存在にだけはなるな!」とも危惧されていた。
 五老僧とは、師の教えを軽んじ、自分の身の上だけを考える増上慢の存在である。
 どんなところにも「中」がある。リーダーは「中」を重んじなければならない。学会の中は会員である。師弟である。
 増上慢は、この中を認めようとせず逆に破壊する。そうした存在とは断固、戦わねばならない。
 広布のリーダーは一面から言えば、自分自身との厳しき戦いが不可欠である。そしてその戦いに勝利すれば、境涯も大きく開ける。宿命転換も実証も大きい。


徒然草師の指導を語る 2006-08-11 群馬多宝研修道場


 この指導がなされた群馬総県に悪党がいる。学会本部が掌握してないため、のうのうと役職を汚(けが)している。


 何度も同じ指導を繰り返されているので見落としがちだが、「学会の中は会員である」との指摘は重要だ。先生は、「中幹部」とは言われなかった。ここに、宗門問題以前の“組織が主で、会員を従としてきた”悪しき組織主義からの脱却がある。


 ハッキリと書いておくが、組織が弱くなるのは、「上もダメなら、下もダメ」だからだ。つまり、マイナスの呼吸が一致しているのだ。無責任、無慈悲の境地冥合といえよう。


 幹部の陰口を叩く者は山ほどいるが、直言できる人は少ない。末端の会員は評論家と化し、傍観者になっているのが現状ではないか。


 会員の覚は鋭い。しかし、それをきちんと説明できない。その上、幹部に対する遠慮がある。


 私は面白くない会合には出ない。例えば、毎1回、分区の壮年勤行会が行われているが、全く参加してない。区長を家に招き、その旨も伝えてある。「内容を充実させたので、是非来ていただきたい」と区長から言われたら、まあ、見学に行ってやってもいいよ(笑)。


 欧米では音楽コンサートであっても、興味を引かなければ1曲目で席を立ち、帰ってしまう人が多い。「お金は損をしても、時間までは損をさせない」という自立の精神の表れであろう。


 全ての会員が、学会の諸会合に同じ姿勢で臨めば、幹部という幹部は本気で動き出すことだろう(笑)。


道修行とは我慢することだ」と勘違いしている人が多過ぎやしないか? 自分で価値判断ができなければ、私はそれを“盲信”と呼ぼう。


 仕事を押しつけてくるような内容の会合は、全て拒否して構わない。“を死なせながら”そんなものを我慢しても全く味がないからだ。


 多少なりとも力があるメンバーであれば、徹底して上の幹部と戦え。大切な後輩のために。

私の発想


 私は、人が集まるところに異様なほど興味を掻(か)き立てられる。かみさんとイトーヨーカ堂へ行くたびに、「凄い結集だな!」と嘆のを上げる。そして、「たくさんの人が集う要素」を、ひたすら考え抜く。品数なのか、目玉商品なのか、家が近いのか、必要に迫られているのか……。


 20年ほど前になるが、高等部を担当していた頃、ある部員がプリンセス・プリンセスのコンサートへ行った。私は間髪を要れず「結集はどうだった?」と尋ねた。「凄かったッスよ、超大結集です」。居合わせた高等部員に、私は重ねて問い掛けた。「何で、プリプリのコンサートには金まで払って大勢の人が集まるのに、内の部員会には十数人しか来ないんだ?」と。まあ、色んな見が出たよ(笑)。


 また、こんなこともあった。デパートに男子部数で行った際のことである。エレベーターに「20人乗り」という表示があった。私は同行した部長に言った。「お前の部で、このエレベーターを満員に出来るか?」と。「厳しいですね」と部長は笑いしていた。


 私には、もう一つ妙な癖がある。ファミリーレストランなどに行くと、「今、ここで立ち上がって学会正義を叫んだら、何人を納得させられるか?」と考えることである。そして、「全員は無理だろうな。半分もしい。せいぜい1割か2割だろう」と気消沈するのが常である(笑)。


 それでも、「人が動く」ことに興味は尽きない。