人は見かけによらない


 今日、ショックなことがあった。この私がショックを受けるということは、その辺の男子部なら3回ぐらい退転してもおかしくないだろう(笑)。何年か経てば、ここに綴ることもあるだろう。


 人は見かけによらない。人それぞれに、複雑な事情があったり、不安や迷い、はたまた悲しみを抱えているものだ。典に云く、「常懐悲(じょうえひかん) 遂醒悟(しんずいしょうご)」と。


 強そうな人にも弱味はある。弱そうに見えて辛抱強い人もいる。表があれば裏もあるのが当たり前だ。裏がわかってしまえば、トランプなんぞ出来なくなっちまうよ(笑)。わからないからこそ人間関係は、信頼と誤解の間を行ったり来たりしながら、常に揺れ動いている。


 私は、そこそこ強い方だ。ふてぶてしいほど逆境に対する耐が身についている。そして、私には「寂しい」という情がないのだ(笑)。宅の細君が、「さみしいね」「悲しいね」とよく口にする。その度に私は、「じゃあ、いっそのこと首でも括ったらどうなんだ?」と親切にアドバイスをしている。


 ここが、普段は品行方正な私の“裏”である。まあ、ブログなんぞでは像もつかないほど口が悪い。サラリーマンではないため、仕事先で怒鳴ることも珍しくない。そして、虐げられてきた人々が行使する暴力に、異様なほどの共を覚えてしまう。の中で何のためらいもなく正当を認め、「何もやらない奴等よりも、はるかにましだ」と大きく頷く。


 私は少々のことでは、へこたれない。問題があればあるほど燃えるタイプだ。だからこそ、弱さを抱えている人々の味方でありたい。他の幹部には言えないようなことでも、私にだけは聞かせて欲しい。常にそうっている。


 ちょっとした環境の変化――正役職を外れたり、引っ越しをしたり、病気になったり、身内に不幸があったり等々――で、人のはバランスを失うことがある。その時、いままで抑制してきた弱さが噴き出す。そういう人々は、予以上に多い。


「温かい一言」「のこもった挨拶」「屈託のない笑顔」――これだけで救われる人もいる。