釈尊の生没年

 インドでは、歴史や地理を記録するということがなかったので、釈尊の生存年代を決定するのは極めて困なことである。
 セイロン、ビルマ、タイなどの国は釈尊の生涯を、
  紀元前624〜前544年
 として、1956年に滅2500年の記行事を行なった。西洋の大半の学者は、マガダ諸王の年代論と一致しないことと、11世紀中頃より先に遡ることができないことを理由にこの説を拒絶している。その代わりに、セイロンの『島史』『大史』に基づいた算定を行ない、いずれも滅を紀元前480年前後としている。その中でも有力なものは、J.Fleet(1906、1909)、W.Geiger(1912)、T.W.Rhys Davids(1922)らによって採用されている
  紀元前563〜前483年
である。類似のものとして、H.Jacobiの「前564〜前484年」説もある。
 このほかMax Mullerの「前557〜前477年」説、Filliozatの「前558〜前478年」説もあるが、これは、異説の多いプラーナ(古伝書)やジャイナ教の伝説に依るものであり、最近では支持されていない。
『歴代三宝紀』に説かれる「衆聖点記」(大正新修大蔵経、巻49、95頁以下)、すなわち弟子のウパーリが結集して後、毎年、夏安居(げあんご)が終わった時に代々の長老が伝持した律典に点を記したという記録に従って算定すると、「前565〜前485年」になる。けれども、律蔵が成文化されたのは滅後数百年後のことなので、その間は点を記すことができなかったはずであるという点がある。ウパーリもそのころまで生きてはずがない。
 これに対して、宇井伯寿博士は、滅からアショーカ王即位までを218年とするセイロンの伝説の信頼を批判し、北伝の資料に基づいてアショーカ王滅の間隔を116年として、
  紀元前466〜前386年
と結論された。
 中村元博士は、宇井博士の説を踏まえつつも、アショーカ王と同時代のギリシア諸王の在位期間について西洋の学者が新たに研究した成果によって、アショーカ王の即位灌頂の年を修正して、
  紀元前463〜前383年
と改められた。この説の立脚点は、滅後100年にしてアショーカが出現したということだが、これは(1)マガダを中とする地域に古くから伝えられたものであること、(2)セイロン上座部を除く各部派に共通であること、(3)セイロン諸王の空位期間を説明しうること、(4)5人の師による伝承としては妥当な期間であり、セイロンの伝説は218年と長きに失するということ、(5)セイロンの伝記が4〜5世紀に作られたものであるのに比べ、北伝は滅後400年ごろに作製されたもので記録が古いこと――などの理由により確実がより高い。平川彰博士も、中村博士の見解を「妥当」と評価されている。


【『仏教のなかの男女観 原始仏教から法華経に至るジェンダー平等の思想植木雅俊岩波書店)】

 釈尊入滅の年代については数十種類の説があるが、東洋古来の説は、周の昭王24年(紀元前1029年)48日生誕、同穆(ぼく)王52年215日、すなわち紀元前949年入滅と定め、『周書異記』にそれが出ている。天台、伝教もこれを基準とし、日蓮大聖人も用いられたことは「開目抄」によって明らかである。


【『日蓮正宗教学小辞典』創価学会教学部編】