越年国会 「再可決ありき」は困る

 臨時国会の越年が決まった。与党は3分の2以上の勢力を持つ衆院で給油新法案を再可決する方針だが、その権限行使には、世論も見極めた慎重な検討が必要だ。初めに再可決ありきでは困る。


 来年115日までの会期31日間再延長が自民、公明両党の賛成多数で衆院で議決された。越年は細川内閣時の1993〜94年以来、14年ぶりだが、この再延長国会で半世紀ぶりの歴史的出来事が起きようとしている。


 憲法59条に規定されている「衆院の再可決」だ。衆院で可決した法案が参院で否決、または60日以内に議決されない場合は、衆院に法案を戻し3分の2以上の賛成で再可決、成立させることができる。


 インド洋での給油活動を再開させる新テロ対策特別措置法案は衆院通過後、参院で審議中だ。与党は野党が否決したり、採決を引き延ばしても60日規定を使い、再可決という「宝刀」を久々に使う方針だ。


 2005年郵政総選挙での自民圧勝、07年参院選での自民惨敗に伴う「ねじれ国会」ゆえの産物だが、権限行使は慎重であってほしい。


 自民党単独では3分の2以上の勢力を確保できないので、カギを握るのが公明党ということになる。


 もともと同党内には直近の民が反映された参院衆院でひっくり返すことに慎重論が根強く、世論調査で給油再開の賛成がよほど多数を占めなければ、再可決はしいとの空気が支配的だった。予は当たり、最近の各種調査でも賛否はほぼ半々で、賛成派は決して増えていないのが実情だ。


 年金の公約違反問題や防衛省スキャンダルに国民の怒りが高まる中、給油新法案への関は依然として高くない。給油活動の中断以降、日本が国際社会から後ろ指をさされているわけでもない。再可決への条件は整っているといえるのだろうか。


 再可決ありきではなく、日本が取るべき国際貢献策は何か、給油再開が治安悪化の著しいアフガニスタンの復興に結びつくのかどうか、あらゆる面からの論議を深めるべきだ。


 公明党が再可決方針を容認した最大の判断材料は、参院で野党が福田康夫首相の問責を決議しても、衆院解散に踏み切るつもりはないとの触を首相から得たためだとされる。


 統一地方選参院選と続いて支持母体の創価学会が選挙疲れしている事情はあるとしても、政党が選挙を恐れては話にならない。小泉政権の後、安倍、福田の両政権下で、国民に信を問う機会がないことの方を、むしろ重く受け止めるべきだろう。


【「社説」/中日新聞 2007-12-15】

「修羅場」とは


 先日、「修羅場をくぐらないと本当の力はつかない」と書いた(「深き理想」には「深き人生」が、「大きな目標」には「大きな自分」が)。すると、青年部のメンバーから「修羅場って、どういう味なんですか?」との質問が寄せられた。修羅場=修羅界とわれると困るので(笑)、いつくままに書いておこう。


 世間でいう修羅場とは、血みどろの離婚劇とか、強欲な兄弟間で繰り広げられる遺産の奪い合いなどが頭に浮かぶ。最も一般的なのは、経営者による資金繰りだろう。銀行に泣きつき、支払い先に頭を下げ、挙げ句の果てに不渡りを出す。眠れぬ夜が続き、血尿が出ることも珍しくない世界だ。


 修羅場とは、人間を踏みにじる理不尽な仕打ちともいえる。事件・事故の被害者は、のた打ち回り、悶(もだ)えしむ人生を強いられる。


 人生最大の修羅場は「死」である。大病を乗り越えた人は、病後の人生を全く新しい世界として受け止める。「死」を自覚した時、人は初めて「生」の味を知る。


 私が関西に期待する理由は、あの阪神・淡路大震災を乗り越えて、いや増して雄々しく学会をリードしている姿にある。震災があった地域から必ずや、21世紀を照らすような人材群が輩出されることを確信する。同じ理由で新潟にも期待している。


 薬害、拉致問題公害病などは、加害者と国を相手に戦う羽目となり、二重の味で大変ないをさせられる。また、近年に至るまでハンセン病患者は、家族からも人間扱いをされてこなかった。


 人類にとっての修羅場は戦争である。国が違うというだけの理由で、殺戮(さつりく)し、破壊し、拷問・強姦の類いは日常茶飯事と化す。また、経済格差による南北問題も恐ろしい修羅場となっていて、一方的に奪われる立場に追いやられている。


「世界広布」を叫ぶことはたやすい。だが、世界中のしみを引き受ける覚悟の人は稀(まれ)だ。とは、最も地獄を知る人なのかも知れない。