曲がり角の選挙協力=党利優先、募る不満−自公

 自民、公明両党が連立を組んで10で10年。この間、3回の衆院選を乗り切れたのは選挙協力が順調だったのも一因だ。同時に、「党利」を重視するがゆえ、互いへの不満も募りつつある。自公協力は曲がり角に差し掛かった。(敬称略)

都議選が影 東京12区


「ご労さまです」。公明党代表の太田昭宏は426日、北区内の祭り会場で参加者と次々に握手を交わした。春は花見に運動会、夏は盆踊り。支持母体の創価学会以外のイベントへの出席は、太田の年中行事。12区内の学会票は「4万から4万5000」で「保守票や浮動票を取らないと勝てない」(公明党関係者)からだ。
 太田が支持者を集めて3に開いた講演会。来賓の自民党都連会長・石原伸晃は太田を持ち上げ、蜜をアピールした。これに限らず、石原はたびたび太田の地元を訪れ、都議や区議らに太田支援を訴えている。都連会長として、他の都内24選挙区での学会の支援を期待してのことだ。
 しかし、太田が自民党の都議や区議の会合に呼ばれることはまずない。「太田さんのために頭など下げたくないという人もいる」。都連関係者は、党内に太田支援への抵抗があることを明かす。
 12区の民主党候補は未定だが、太田はこれまで以上に危機を募らせる。7に都議選があるからだ。都議選では12区の北区、足立区で自公が競合しており、「自民党の太田支援の動きがさらに鈍る」(公明党関係者)と警戒する。もし太田が落選すれば、連立を維持できても大きな亀裂が生じるのは必至だ。「太田が負けたら公明党のダメージは計り知れない」(学会幹部)。12区の行方は、連立政権の将来を左右しかねない。

頼りは公明 大阪9区


 自民・原田憲治が2万票弱の差で民主・大谷信盛を退けて初当選した2006年10衆院大阪9区補選。党組織を挙げての支援を得た補選と違い、今回は自力での戦いだ。それだけに、公明・創価学会の協力なくして勝利はおぼつかない。
 「この間はおかげさまで勝てました」。原田は44日夜、箕面市内で開かれた公明党市議団の会合で深々と頭を下げた。代表に太田が就任して最初の国政選挙だったこともあり、学会は全力で原田を支援。9区内で3万5000票程度とされる学会票が勝利の決定打になった。原田は公明・学会との良好な関係維持に腐する。
 しかし、同党府本部関係者は「今回は候補を立てる府内4選挙区で手いっぱいだ」と素っ気ない。比例代表での見返りがなければ動かないとのシグナルでもある。実際、学会幹部は「あくまでも全国300小選挙区の一つだ」と、どこまで支援するかは原田の協力次第であることを示唆する。
「常勝関西」。学会にあって、大阪の集票力が抜きんでていることを示すことばだ。「常勝」を義務付けられた大阪学会にとっては、府内での4議席維持と比例票の上積みが至上命令だ。こうした事情を知る原田陣営からは「前回のような協力は無理かもしれない」との不安が漏れる。
 もっとも、自民党内からも「うちの協力がなければ、公明も議席維持は簡単じゃない」(選対関係者)とのも聞かれる。9区で効果的な協力を維持できるのか。全国での自公協力の今後を占う「リトマス試験紙」(学会幹部)とも言える。


時事通信 2009-05-04】

戦争犯罪の心理的矮小化

 こんな話のとき、それでもなお私は小島さんの罪の識に分け入る質問を続けた。
「それは血のつく手をイメージするのですか? それとも、殺される中国人の顔ですか?」
「血です」
「手のほうですか。相手のことはわないのですか。自分のことしかわないのですか」
「兵隊の手に血がつくわけですよ。
 それで私がうのは、われわれが帰った後、あのグシャグシャになった死体を家族が見つけて引き取っていく。その時の悲しみがどんなものだったかとうと、もう眠られなくなっちゃうんですよね。家族は泣いて泣いて、グシャグシャになった胸を見て、気が狂ったのではないかと……」
 ここでも小島さんは、残された家族の情という回路をへて、行為の残忍さを語っている。殺される者の無、人間がこれほども理不尽になれることへの絶望についてじとり、その上で、遺族の悲痛について像しているのではない。私はあえて問いかけた。
「今のお話を聞いていても、殺された人間が抽象化されていて、顔がじられない。殺されている人の顔はい出さないんですか?」
「顔はい出しませんよ。むしろ刺した部分です」
「そういう味では、やはりモノですね」
 小島さんは黙ってしまった。


【『戦争と罪責』野田正彰岩波書店1998年)】


戦争と罪責