8月総選挙強まる 首相『解散は補正関連後』

 2009年度補正予算の成立を受け、政府・与党内に29日、政局の最大の焦点である衆院解散・総選挙の時期について、8中の総選挙実施との見通しが強まった。政府・与党が補正予算関連法案や、海賊対処法案、国民年金法改正案など重要法案の成立を確実にするため、63日までの今国会の会期を8上旬までの60日間以上延長する方針を固めたためだ。
 麻生太郎首相はこれらの法案成立後に衆院解散に踏み切る構えで、これにより、712日の東京都議選との同日選挙は見送られることになる。
 これに関連し、自民、公明両党の幹事長、国対委員長は29日に国会内で会談し、今後の政局対応などについて協議した。補正予算関連法案の衆院通過が6上旬にずれ込んだことを踏まえ、当初検討していた7下旬までの延長幅をさらに拡大することで一致。憲法の規定で「60日ルール」と呼ばれる参院のみなし否決を視野に、60日間以上の延長が必要との考えでまとまった。
 麻生首相は61日に公明党太田昭宏代表と会談し、延長幅を最終判断する。衆院解散時期について、首相は29日、首相官邸で記者団に「関連法案が上がらないと(補正予算の)執行に支障を来す」と、関連法案の成立を優先し、衆院解散は関連法案成立後との考えを示した。
 早期解散を求める民主党は「図的な審議引き延ばしはしない」との考え。関連法案や重要法案が早期に成立した場合、首相は78日からの主要国首脳会議(サミット、10日まで)前にも解散し、82、9日、遅いケースでも30日の投開票を模索する。


東京新聞 2009-05-30】

「死の幻影」4

 第二に私が得たといえるものは、痛についてである。死の極限に近いような肉体的痛を体験したことのない人には疑わしくわれるだろうが、それはそれでいっこうにさしつかえない。私はそのような種類の痛を味わったことがなくて、痛の状態を論じ得る人がもしいるなら、あまり信用しないが、こちらの方から説得しようという気持もなんらもちあわせてもいないからである。それではなぜ書くのかと問われるならば私は答えるのである、私はただ、人間にはこのようなものもあったのだということを報告しておくだけだ、と。
 極限に近い痛は、人間という生きものの持つ独特の機能である論理的考の働きを粉砕する。人間はまさしく、一個の生きものとしてしんでいる自分を発見する。自分が獲得したと信じ、自分を支えているとい、自分の言葉そのもので表現できるといこんでいたが、もし真に血肉化されたものでなければ、像を絶する肉体の破壊の威力の前にそのような借り物は一切粉砕されつくすのである。どのように孤立化され、周囲から切断されても、真に自立しうるおのれ自身のでない限り、すべて粉砕される。
 ただ、明らかに他の動物とちがうことは、自分を襲っている痛をひき起こした真の原因について、人間は知ることができるし、知っている、ということなのだ。知っているということは、大きなことである。なぜなら、知っているということは、たとえ力及ばないにしても、どう立ち向かえばよいか考える余地があるということである。たとえば、痛が大きくなればなるほど、それをひき起こした対象の質いかんによっては、憎しみを増大させ、いっそう呪い憎悪することで対抗しようとする場合もありうるだろう。そして私の場合は、私のしみをひき起こした対象は、私を死へ向かわせるために存在したのではなく、逆に人間のにおいて私を死からひき離すために、存在したものなのである。したがって、私は、そのしみのさ中にあって、いまは何がどうなっているのか、よりいっそう知るために、医師に小さなでよく質問した。
 ――先生、どうしてこんなにしいんですか、と私はかろうじてある医師に言った。くり返すが、いま述べたような味で私は訊ねたのである。すると、その医師は、しいですか、と言って、しばらく考えた。それからこう答えた。
 ――切ったからでしょうな。
 私はあまりにも痛だったので笑いはしなかったが、本当はその言葉を聞いて笑いだしたかったのである。私はいまの段階の、いまの痛をひき起こしている私の内部の現状を知りたかったのだ。しかし、考えてみれば、その医師も全く正しかったのだ。痛いのは、切ったからでしょう。なるほど。全くそうだ、その通りにちがいない、と私はった、皮膚だけでなく中まで切り裂くということはこんなにも痛いことだったのだ。これが、切る、ということだったのだ。その医師の言葉はまことに単純にして明快だった。私の図とはちがってはいたが。そのおかしさは、私のをほんの少しではあったがやわらげた。まことに、知ることは力である。
 その医師にひきかえて、主治医の荻村医師はていねいであり、相手がしろうとであることを十分に承知の上で、私によくわかるように、考え考え教えてくれるのだった。それは、私が退所するまで一貫していた。
 しいでしょう、しいはずだ、小林さん、と荻村医師は私をのぞきこんで言うのだった。胸の中の出血はどうやらとまりそうだけど、しいでしょう、我慢することなんか少しもいらないんですよ、しいのがあたりまえなんですからね、だけど、病巣はもうすっかりとってしまいましたからね、もう配いらないんですよ、よかったですね、出血がかなり多かったから、13日に抜管(ドレンの管を胸からひきぬいて、あとから、2針縫うのだ)するのが普通だけど、1日だけ余分にようすを見ましょう、いいですね。
 御大のS博士はまたちがっていた。カーテンの中へひょいと入ってきて、どうだい、といきなり言う。はあ、とだけ私は言って、それ以上口がきけない。
 うまくいったからな、肋膜はぜんぶはげなかったがどうっていうことはない、だけど、それでは肺がのびないから、もう一度補正をやるよ、1本骨ははずしておいた、補正は大したことはない。
 そして出て行く。もう一度やる――痛のただ中にある切られたばかりの私にとって、それはおそろしく残酷な言葉だ。その言葉は、私の痛の上にさらに重い力となってのしかかってくる。だが、その言葉は、誰の言葉にもまして、正確に私の内部の現状を私に教える。その言葉は、この痛を越えて、さらに歯をくいしばることを私にきびしく要求する。結核から真に解き放たれることは、人々がうようになまやさしいものではないことを示す。甘ったれた病者の理をまずおのれの中で、おのれの力でたたきつぶさねばならぬことを示しているのだ。知るということはまた、なまやさしいものではない。
 切って4日め、313日に、私はつきそいのおばさんにノートと鉛筆をとってもらい、自由に動く左の手でそれを胸の上に支えた。しびれてよく動かない右手に鉛筆を持ち、労して、ほんの少し記録した。
 翌14日、ドレンの抜管。私は胸にさしこまれた2本の管から自由になった。おばさんに、ベッドの足もとの方へ帯をしばってもらい、手助けをことわって、左手一本で、じりじりと上体を起こして、ようやく2〜3分起きていることができた。この時いぜんとして痛は私をうちのめしてはいたが、死の幻影を見たその第一段階が私において終わったことを私はじた。


(※文中、傍点は【 】に表記を変えた)


【『生命の大陸』(三省堂1969年)/『死 私のアンソロジー7』田道雄編(筑摩書房1972年)】


生命の大陸 生と死の文学的考察


死 私のアンソロジー7