深き信心の眼を

 戸田城聖第二代会長の生誕90周年を記しての第2回懇談会が、10日午後5時半過ぎから、池田誉会長が出席し、東京・信濃町の学会別館で開かれた。
 その際、誉会長は参加者と厳粛に三座の勤行をするとともに、戸田第二代会長をしのびつつ、師の指導を語り伝えておきたいとし、約1時間にわたり大要、次のように語った。


 1.「『組織の眼』だけではなく、常に『信の眼』で人を見なければならない。特に役職は高くなくても、また役職はなくても、本当に真面目な信の方がおられる。その方々を尊び、からたたえ、励まし、守っていくが、自分自身の信の証であることを忘れてはならない」
 2.「広宣流布のために、常に行動していく人は、まことの大聖人の門下であられる。これこそ学会にあっては私の真の弟子である。広宣流布の行動をしているように見えながら、すべて自分自身の利害のために動いている人は、私の敵である」と厳しかった。
 3.「私がいなくなった後、悪い幹部も出るに違いない。口のうまい人、学会を利用して自分の利害を考える人等々――常に青年は、濁ったそれらの人々を見抜き、戦っていかねばならない。そうでなければ、正法の永遠も、信の正しさも証明できなくなってしまうからである」と指導された。私は青年として、こうした悪しき幹部とも徹底して戦ってきた。
 4.「母親は子供をいくら叱っても配ない。しかし、父親が叱ることは非常に危険な場合がある。鋭敏な子供は、母親の叱り方には愛情をじる。父親から叱られると、重圧をじてひねくれたり、反抗をしたがるものである。この点、子供を育てる場合、よくよく気をつけるように」
 5.「夫の力が社会で『十』のうち『五』くらいの存在であっても、妻が聡明であれば『八』までの力を出し、生かすことができる。反対に、夫が『十』の力のある存在であっても、妻が愚かであると『五』とか『四』とか『三』の存在に引き下げてしまうものである。
 また、夫人が非常識であれば、夫をダメにしてしまう。夫人が聡明で、夫に言うべきことをきちんと言っていけば、夫もどんどん伸びるものだ。
 要するに、“夫に力がある”とか“人より偉い”といって見栄を張ることは、愚かさの象徴である。自惚(うぬぼ)れと非常識は皆から嫌われ、暗い人生の方向に追いやられてしまう場合がある」と、妻の信、聡明さがどれほど重要であるかを厳しく注されていた。
 6.「金銭にだらしのない家は不幸である。決して栄えない。金銭、そして一日一日の生活を大事にしていく家庭は健全である。して家計簿はつけるべきである」と言われていた。我が家は今でもその通り実行している。


 更に誉会長は、「人の格は、中々変わらないものだ。ゆえに『相手が変わる』ことを望むのではなく、自分が力をつけ、成長していくことである。それが、環境を変えゆく原動力となる」「情報化時代である。情報をいかに速く、正確につかむかで、事の成否が決まってしまう場合があまりにも多い」「何事も明快に話し、指導していかねばならない。それがの雲を晴らし、確信の行動を生むのである」など語った。


戸田先生生誕90年記の懇談会/第2回懇談会 1990-02-10 東京・学会別館】


 この手の指導は理由があって箇条書きとなっているのだ。求道心次第で受け止め方には決定的な差が生じる。文字だけ読めば、幾度となく紹介された内容である。


 振り返ると、1989年12の終わりに日経平均株価は3万8957円の天井をつけてから暴落した。翌1990年の101日には1万9781円まで下がった。そして、1991年から「失われた10年」が始まったのだ。


 景気が冷え込み、リストラの嵐が訪れる直前に、先生は信の基本を打ち込まれた。これは今だから理解できることだ。この頃、ある青年実家に教えてもらったのだが、「本部幹部会で先生は、『バブルが弾けた』と明快に仰った」そうだ。私は全く記憶になかった。


 大変なご労をされた方も多かったこととう。それでも我々は、日顕宗に鉄槌を加え、四月会と戦った。失われた10年は、学会にとって激動の10年だった。この間に私は、男子部の部長から総区副青年部長となっていた。あっと言う間に駆け抜けた10年だった。迷っている暇すらなかった。


 師の指導を軽々しく受け止め、浅はかに考えていたメンバーは皆、落伍していった。我々はどんなに頑張っても、自分の境涯の範疇(はんちゅう)でしか判断できない。しかし、広布最前線で闘争し抜く時、自分の境涯を打破せざるを得なくなる。その時に指導の本質が少しわかるようになる。理が事になる瞬間といえよう。


「わかったつもり」になっている幹部が一番危ない。