日顕宗は被災者の窮状にソッポ

鬼畜の如き“破法”者の姿/日顕宗


 関東大震災以来の大惨劇を招いた兵庫県南部地震阪神大震災)。各宗各派が救援活動を展開するなか、全く被災者の不幸にソッポを向き、救援活動を行なうどころか地域の被災住民を寺からシャットアウトし、多くの人々の反と顰蹙(ひんしゅく)を買ったのが兵庫県下の日蓮正宗寺院である。
 地震発生後、多くの教寺院や神社、キリスト教の教会などでは、罹災しながらも宗教者の当然の役目として自らの施設を避所や遺体安置所に開放した。
 ところが被災区域にある日蓮正宗寺院は、民衆蔑視を象徴するかのように寺の門扉を固く閉ざし、教者にあるまじき無慈悲極まりない“エゴイストの巣窟”と化していたのである。
 今回の震災では、宗教、宗派を超えて、信仰者・無信仰者を問わず、現実に困っている被災者に対して差別なく救援活動を行なってきた同じ日蓮・日興門下の創価学会員とは対照的に、現実の悲惨な現場に足を踏み入れることもせず、ノウノウと信徒の上でアグラをかき、寺院財産の維持管理だけに汲々とする日蓮正宗つまり“日顕宗”の非人道、腐敗、堕落体質がまざまざと浮かび上がってきた。
 阿部日顕日蓮正宗管長・大石寺法主の責任が今後、厳しく問われることになる。

非人道、腐敗、堕落体質が浮上

かけらも見られぬ菩薩道の実践/天災・人災引き起こす日顕宗


 兵庫県内にある日蓮正宗寺院は8ヶ寺。そのうち地震の被害が比較的軽微だった尼崎市内の大妙寺と宝塚市内の妙久寺、淡路島洲本市内の法栄寺を除けば、いずれも阪神間の激震地に在る。しかし近年に創価学会員らの供養で建てた鉄筋建築は堅牢で、西宮市上甲子園の古刹・正蓮告が全壊したほかは、いずれも建物の被害はほとんどなかった。
 被災者自らがボランティアとなり、地域の被災住民の便宜をはかるため不眠不休、昼夜兼行の救援活動をしている創価学会員とは対照的なのが、日蓮の正宗を自称するこれら“無被害寺院”の振る舞いであった。門扉を固く閉ざして人の出入りを禁止し、道行く被災者の儀を見て見ぬふりを決め込んでいたのである。
 菩提があれば菩薩道を実践する千載一遇のチャンス。それが阪神大震災であった。事実、創価学会は隣の大阪や遠くは東京・九州からも駆けつけたメンバーと地元の被災した学会員とが異体同の救援活動を展開し、12ヶ所の会館・講堂は“砂漠のオアシス”さながらに傷ついた被災者の身体とを温かく包んできた。
 これに対して“日顕宗”の寺院は救援活動をせず、大震災後もテンデンバラバラに孤塁に籠もっているだけで、なりをひそめている。この沈滞した“日顕宗”のどこからも、変毒為薬の証明・実践の好機到来といったような、の奥底から沸々と噴き上がる鼓動・動のかけらもじられないのは、やはりというべきであろうか。
 日蓮正宗宗務院は118日、自宗の全国の寺院宛に院達を出し、「被災寺院と信徒を支援するため」と称して義援金を募集した。ここには一般被災者への義援には全く触れていなかったが、その後、いかにもまずいとったのか2日後の21日、「義援金は一般被災者にも役立てたい。のため」と院達をあわてて修正するといった具合で宗門内外の失笑を買った。
 それ以前、地震直後の117日、宗務院はいち早く自宗の全国の寺院住職に「お知らせ」をファクスで送り、被災地域の自宗の寺院の建物、財産、寺族に関する被害状況を伝えたが、檀信徒(法華講)については「相当の被害を受けているようです」と記しただけで、何の対応策にも触れていない(触れていないのは当然で、地震直後も現在も自宗の被災した法華講に対してさえ積極的な救援活動を行なっていない)。
 ここにも僧侶が上で檀信徒は下、二の次といった姿勢が見える。被災者の掌握なしに有効な対応策をとるべくもないわけで、宗務院は被災者の状況など最初から無関だったといわれても仕方がない。
 実際、被災地の“日顕宗寺院”の前を家も家財道具も一切なくした被災者たちが途方に暮れて往来しているのに、貝のように固く寺内に閉じ籠もり、嵐の収まるのをじっと待っている姿――。
 今回の震災では、各宗各派の被災地区寺院の良的な対応ぶりに相対して“日顕宗寺院”のエゴむき出しの冷徹ぶりがとくに目立ったのである。倒壊した寺院や神社でも無事な施設を一般被災者の避所に解放しているというのにこの態度はまさに宗教者失格とはいえまいか。現地の一般紙記者は「寺の門を閉めていたのは日蓮正宗の寺院だけだった」と話している。
 神戸市兵庫区湊川町の法寺(富田慈龍住職)の建物は無傷。近辺は坂道に亀裂が入り50cmくらいの大きな断層が目につく。住宅街では軒並み家屋が全・半壊などの大被害が続出した。法寺には当初、8世帯30人ほどの法華講員が400人収容の広い本堂に避したが、地震後1週間たった時点でも救援物資はほとんどなく寒々とした状況。境内には車やバイクの数台がとまり、たまに檀徒らしい人が出入りする程度で、一般の被災者を受け入れている様子はない。同寺に電話をかけてもコール音が鳴るだけで電話口には誰も出てこない。全く何の対応もないような姿である。
 神戸市灘区原田通1-1-5の妙本寺(長谷部道潤住職)の周辺は地震被害がかなり大きいが、同寺は落慶からまだ2年と新しく、ほとんど損壊はなかった。
寺の話では法華講員から届けられた物資を檀徒に分けあっているというが、近隣の一般被災者への救援活動は全くしていない。していないどころか、地震後、家が倒壊・焼失して行き場を失った地域住民が同寺を訪れても、門扉を閉めて知らんぷりを決め込んだ。
 同寺の周りには役員風の男が見張りに立っていて厳重警戒。「○▽さんがお世話になっていませんか」と尋ねに来た人にこの張り番は「そんな者はおらん、おらん」とつっけんどんに答えていたという。また番犬をおいて威嚇している。自分達は無事でよかった、やっかいな面倒は一切見たくない、という態度がありありと窺える。
 妙本寺の隣にある壇店の話では、震災後はずっと同寺の門扉は締まったままという。門内の庫裡にはしらしらと灯りがついていた。
 ちなみに、この妙本寺の近くにある創価学会灘文化会館では24時間態勢で避住民に対する救援活動が繰り広げられていた。
 妙本寺の長谷部住職といえば、昨年9に行なわれた「四月会大阪シンポジウム」に参加した“日顕宗”の僧侶の一人。亀井静香運輸大臣自民党タカ派議員が策動する憲法違反「信教の自由」潰しそのものである、創価学会潰しの会合には人一倍積極的でありながら、被災者の救援という直面した大問題には対岸の火事のように頬かむりして押し通そうという態度だ。エゴ丸出し、鬼畜の如き“破法”者の姿がここでも証明された。
 神戸市西区池上2-10-7の浄教寺(堀江正行住職)は屋根瓦の一部が落剥したため数人がかりでビニールシートをかけるなどの応急処置をしたが、壁に亀裂が入るなどの損傷はなく無事だった。檀徒は90%以上が無事。家が漬れた被災者は避所や親戚の家に行って世話になっているという。ここでも被災者への救援・救護活動は一切行なわれていない。
 西宮市宮前町5-12にある妙言寺(吉鶴愛道住職)では、「建物に被害はなかった。近辺で亡くなった人もいない」という。しかし、近所には倒壊した民家も多く、死者・怪我人が続出している。
 大震災から4日経った21日にも、妙言寺の前を両手いっぱいに物を持った被災者が行き来していた。また肩に重そうなリュックを下げてどこかへ移動していく住民の姿が見られた。
 しかし、厳重に閉ざされた門扉とこの寺の高い塀は、この大災害に焼け残った喜びを謝と報の行動に昇華させることもなく、被災者を我関せずと見下している寺院の理を物語るように、傲然と建っていた。もちろんこの寺でも被災者への救援活動は何もしていない。
 妙言寺からわずか500メートルほどの場所にある創価学会の西宮池田講堂は、地震当日は地域の400人の被災住民で溢れかえった。講堂では学会員の不眠不休の献身的な救護活動が光っていた。同じ日蓮聖人・日興上人の教えを信奉している在家教団と宗門僧侶とその寺族。両者のこのあまりにも対照的な光と闇。根本的な相違のよってきたる所以を一体どう解釈すればよいのだろうか。
 西宮市上甲子園1-11-20の古刹・正蓮寺(天野之道住職)は本堂・庫裡ともに全壊してペチャンコになった。本尊を尼崎市の大妙寺に預けて天野住職は早々と寺を離れ、女房の実家である大阪・聖教寺(柳坂幹道住職)に移り住んでいる。唯一、倒壊を免れた山門に移転を知らせる張り紙が無造作に張られているのが何ともよそよそしい。
 今回、住職夫妻が信徒の安否の確認もそこそこに逃げるように立ち去っていたことは、言うまでもなく地元法華講の不評を買う結果となったようだ。倒壊した建物の瓦礫は26日までに撤去作が行なわれ、境内地への立ち入りは禁止されている。
 震源地・淡路島の洲本市中川原町安坂235-2にある法栄寺(今野慈晋住職)は地震の起こった活断層とは反対の南方向にあるために被害はほとんどなかった。にもかかわらず、ここも被災しなかったことに胸を撫で下ろしているだけで、北淡町など軒並み家が倒壊し、投げ出された被災住民への救援活動を全く行なっていない。
 義理や人情もあればこそ――。“日顕宗寺院”のこうした寒々とした惨状をみるにつけて、逆境にじっと耐えながら悲を共にして肌寄せあっている被災者よりもはるかに悲惨で救いようがない“日顕宗”体質を再認識した次第である。
日蓮を敬うとも悪しく敬わば国亡ぶべし」の聖訓を待つまでもなく“日顕宗”が存在することによって起こる天災・人災の災禍が被災住民にも及んでいるということを知らなければならない。


【「中外日報」 1995-02-04付】