組織をおかしくする方法


 皆さん、夏季友好週間をいかがお過ごしでしょうか? 早目の晩酌に余がない壮年部の方や、汗だくになったやや太めの身体を茶の間に横たえて、英気を養う婦人部の方、あるいは、友人と山や海へと、浮かれながら走る青年部の皆さんもいらっしゃることでしょう(笑)。


 いずれにしても、何の束縛もない休日にこそ、その人の人生の過ごし方が端的に現れるといってよい。吾が輩はというと「読書と索の暇(いとま)」を作るべく余がない。


 そこで「組織をおかしくする方法」について索してみた。


 リーダーが担う使命の眼目は、人を育てることにある。組織の画竜点睛(がりょうてんせい)は人材育成に尽きる。これを見失ったリーダーのいるところ、たちどころに組織の歯車は狂ってゆく。微妙な呼吸のズレが戦いにブレーキをかけることは決して珍しくない。


 後輩が現実に目覚しい成長を遂げていなければ、リーダーが権威主義であり、官僚主義となっている証拠である。かといって、自分が成長してないことを先輩のせいにするのはお門違い。「人は変われど、我は変わらじ」を勘違いして、全く成長しない男子部もたまにいる。


 幹部が利に走ると“悪しき成果主義”がはびこる。時折、被害は友人にまで至るケースがある。


 地区活動者会に行くと、普段から鬼のような顔をした地区婦人部長が、大神のような顔でじっと見つめ「新聞啓蒙は?」と一言。翌週からは、壮年・男子の参加者がぐっと減ったりする。弱いメンバーは「新聞、新聞って、俺は新聞屋じゃねえんだよ!」などと怒りをあらわにするが、地区婦人部長の前では借りてきた猫状態。


 幹部による“悪しき成果主義”への対抗手段として“安易な反成果主義”というのがある。「そんなに数、数って言うことないじゃありませんか!」なんてね。「私達は数字のために戦っているんですか?」とも。東京の下町あたりだと、「そうよ。決まってるじゃない!」とあっさり反撃されたりする。自分の弱さを正当化する見は情に支配されたものであって、そこに広布の志は微塵も見られない。


 数だけの戦いは不毛だ。疲れしか残らない。数の出ない戦いは、既に戦いとは呼べないだろう。だからこそ、中道というバランスが求められる。


 幹部は自ら範を示し、「共に戦おう!」と士気を鼓舞してゆくことだ。人は気にじて動く。言葉で動かそうとした途端、組織に雲がかかる。


 絶妙なる連係と、世界一の団結で進むのが、創価の王道だ。