スケジュール闘争

 例えば今月の予定・スケジュールが決まる。それをただ手帳に書いているだけなら、自分の一の中に入っていかない。なすべきことを全部、自分の一の中に入れていくことです。入れていけば、それが祈りとなっていく。一三千で、勝利の方向へ、勝利の方向へと全宇宙が回転していく。
 自分の魂の中、一の中に、「広宣流布」を入れていくのです。一切の「我が同志」を入れていくのです。広宣流布を祈り、創価学会の繁栄を祈り、我が同志の幸福を祈り、行動するのです。それが広宣流布の大闘士です。


【『法華経の智』第4巻 1998-12-08発行】


 一とは、一+今+であるから、今この瞬間の生命を指す。一瞬の生命の奥底(おうてい)に何があるのか。何に支えられているのか。どこに向かっているのか。


 俗諺(ぞくげん)では「肚(はら)に入れる」「肝に据える」などというが、法は色不二であるが故に、もっと深い次元となる。


 自分の手帳はいかなる状態になっているであろうか? 真っ先に私的な用事を書き加え、後から学会の会合を書いているようなことはないだろうか? スケジュールの書き方に、人生の優先順位が如実に現れる。


 宗教の五綱においては“時”が最も重要な要素となる。だからこそ、スケジュールが大事だ。今が如何なる時であるかを見誤ってしまえば計画は頓挫する。一生成が人生の目的であるならば、無計画に人生を送ることなど許されないはずだ。


 戸田先生に仕えていた若き先生は、師のスケジュールは完璧に知悉(ちしつ)されていたと窺う。戸田先生が眼鏡を額にせり上げて、手帳に目を凝らした瞬間、「先生、その日は、何時からは――、何時からは――のご予定になっております」と進言された。精密機械のような先生の振る舞いに「大作は凄いなあ」と戸田先生嘆された。


 一広宣流布を入れる、との教えは本因妙そのものである。広布に邁進する中で、徐々に一を鍛え上げるのではなくして、まず最初にを決める。「これをやるぞ!」「断じて成し遂げてみせる!」という最初の一が、その後の行動を決定する。因果倶時で、その時、既に勝利の結果が確定される。


「奴隷根」や「雇われ根」が微塵でもあれば、最早、地涌の菩薩とはいえない。ともすると惰弱になるを戒めながら、強靭なる一で闘争に臨みたい。


 私の目下の最大のスケジュールは、明年の1月2日である。この日、先生は喜寿をお迎えになるが、どのような勝利をもって、喜寿のお祝いとするかが、頭から離れない。