柳田國男の証言

 若い者を用(つか)って熱に戦争反対論や平和論を唱えるものだから、陸軍に睨(にら)まれて味なしに牢屋に入れられた。妥協を求められたが抵抗しつづけた為め、牢の中か、又は出されてか直ぐかに死んでしまった。宗祖の歴史につきものの殉教をしたわけである。


【『定本柳田國男集 別巻第三』(筑摩書房:絶版)】


 柳田が創設した郷土会が結成されたのが明治43年12だから、これ以前から、柳田と牧口先生は親交があったと考えられる。だが、柳田は、地理学者としての牧口先生にしか興味がなかったようだ。


 アンチの愚か者どもは、戦時中の軍部による学会弾圧は世界平和を目指したものではないと批判するが、学会員ではない柳田から見た印象は、上記の文章によく現れていよう。つまり、折伏弘教を中とした創価学会の運動は、「戦争反対論や平和論」を唱えていたと世間の目には映っていたのだ。


 貴重なテキストなので、記しとどめておく。