提婆達多と阿難

 なぜ、提婆と阿難は、兄弟でありながら、これほどの差が生じてしまったのか。この点は、さまざまな角度から論じることができるだろうが、やはり、その「一」の違いに注目せざるを得ない。
「一」は実に微妙なものである。たとえば、本日のこの総会の開催についても、さまざまないの人がいたにちがいない。
 中には、“学会本部へ行くなんて、いやになっちゃうなー(笑い)。小金井でやればいいじゃないか”(爆笑)とった人もいたかもしれない。また、“何もウイークデーにやることはない。日曜日にやればいいじゃないか”(大笑い)と。これは壮年部の人に多い(爆笑)かもしれない。
 反対に、“本部に行こう。学会本部の御本尊を拝したい。私たちは学会員だから”と喜々として参加された人もおられるであろう。
 このように、同じ一つの会合の参加にしても、さまざまに「一」は異なる。生命の奥底(おうてい)から、ふと頭をもたげてくる「一」は、いかんともしがたい。しかし、この「一」の姿勢によって信は決まるといっても過言ではない。だからこそ、大聖人は“こそ大切なれ”と仰せなのである。


【第2東京・小金井圏第1回総会 1988-06-17 創価文化会館


 提婆達多阿難は共に釈尊の従兄弟だった。どちらが兄なのはか異説がある。若い時分、釈尊の恋仇だった提婆が兄だったのではと個人的に考えている。阿難は、釈尊が入滅するまでの20年以上にわたって常随給仕した。教説の記憶に関しては右に出る者がなく、十大弟子の中で多聞第一と謳(うた)われた。典結集にあっては中的な役割を果たし、付法蔵第二祖として歴史にを残した。


 兄弟姉妹であっても生命は別である。そんなのあ、当たり前田のクラッカー。だが、「あの反逆者は、あの幹部の兄弟だ。何とかできなかったのは、幹部がおかしいからじゃないのか?」なあんて、下らない不信を起こす人がたまにいる。こういう連中は、像力が無さ過ぎ。何もやってないはずがないのだから。手を尽くし、を尽くして、それでも駄目だったからこそ反逆したのだ。


 先生はこの指導で、兄弟であった反逆者と偉大な弟子の差は、「微妙な一」の違いにあったと指摘。目に映らないの動きが、三千羅列の厳しき実相となって現れる。


 我が一がどういう方向に向かっているのか――これを手っ取り早く確認するには、やはり、勤行・唱題と、会合への姿勢を自問自答してみることである。義務や惰はないだろうか? 目的が曖昧になってはいないだろうか? 特に幹部の場合、どれほど真剣さを示したとしても、にじみ出る歓喜の姿を示さなければ、多くの同志はを開かない。


 また幹部は、自分の信の一で、「全会員を幸福へ引っ張ってゆくのだ!」という根を持たなくてはならない。どうも、最近の幹部は、打ち出しの伝達と、お茶を濁したような話に終始している。ともすると、広宣流布までが“打ち出し”になっているような印象すら受ける。学会に脈々と躍動する広布決定(けつじょう)の精神を後輩に伝えてゆくためには、まず、幹部自らが、広宣流布への欲と決に燃えていなければならない。日々、広布に生きる人は、微笑しながらも、言葉の端々にその覚悟が現れるものだ。


 今一度、「ただこそ大切なれ」(1192頁)との御聖訓を噛み締めたい。大聖人は、“成果こそ大切なれ”“結集こそ大切なれ”とは仰せになってない。戦う以上、成果や結集はもちろん大切だ。しかし、を従としてしまえば、単なる成果主義で終わってしまうだろう。

 いよいよ「創立の
 完勝の総仕上げと
 青年・拡大の出発だ。
 勇気ある信
 生き生きと進め!


 【「今週のことば」聖教新聞 2004-11-01付】