一喜一憂するな

 何かあると、すぐ一喜一憂するリーダーでは、多くの人を守ることはできない。指導者は、少しくらいの騒ぎに微動だにもしない、よい味での大人(たいじん)にならねばならない。そうでなければ、内外の人から軽く見られ、侮(あなど)られて、結局、悪をつけ上がらせ、助長してしまう。
 磐石な学会の恵まれた環境にあって、甘やかされ、労知らずとなったり、私が厳然と守っていることをよいことに、成長を遅らせてはならない。
それぞれの立場にあって、広布の障害と厳然と戦い、勝利してこそ指導者といえる。


【第2東京・小金井圏第1回総会 1988-06-17 創価文化会館


 何かあると、極端に喜んだり、落ち込んだりする人は、信用できない。生命の外界にある縁に動かされているからだ。かような人物は、サンタクロースや白馬に乗った王子様を求めるような信になりがち。


 現場は何があるかわからない。まだまだ、若い内は、腰を抜かしそうになる局面が必ずある。この時、本当に腰を抜かして何もできない人は、必ず退転する。生命に刻印された無慈悲から、あきらめと無力が生まれ、信の全てが形式となってゆくからだ。


 私が初めて腰を抜かしそうになったのは、家庭訪問でのことだった。当時、21歳で班長(現在のニューリーダー)だった。もう一人の班長と連れ立って、ある班長宅を訪ねた。玄関に入ると、顔つきがいつもと違う。「今晩は! あれ、どうしたの?」と訊いた。「あのさ、俺は今まで、時間がある時は真面目に信してきたつもりだけど、今後は、そうはいかねえからな!」。目が点になってしまったよ。普段は大人しい人なんだが、ダンプの運転手ということもあって、怒り出すと手がつけられない。その上、5歳ほど年上。結局、彼の言い分はこうだった。女房が婦人部からイジメられている。婦人部の会合が終わっても、内の女房だけにお茶を出さない。目の前で、聞こえないように悪口を言ってる。女房は今まで我慢してきたが、今日、自分が帰ってくると、泣きながら胸の内を語った。「こっちはな、昔は大阪でチャカだって振り回してたんだ! 何をするかわからねえぞ!」――。


「あんたらだって、そうなんじゃないのか!」。そこまで言われて、黙っているつもりはなかった。「何、言ってんだよ! そんないで、どうして今まで一緒に戦えるんだよ。○○さん、冗談じゃないよ。僕等を信じられないっていうのか!」。私の血相に、向こうの態度も和(やわ)らいだ。後で、居合わせた班長から教えられたのだが、私は下駄箱をいっ切り叩いたらしい。「ぶっ壊れるかとったよ」。


「いや、すいません。俺も言い過ぎた。男子部はそんなことないよね……」「じゃあさ、ちょっと婦人部に確認してみるから。あんまり怒っちゃ駄目だよ」と言って、その足でブロック担当員(現在の白ゆり長)の家へ向かった。


「ああ、その話ね。私も聞いたんだけど、誰もそんなことしてないのよ。多分、被害妄だとうんだよね」。ガチョーーーン!


 帰宅してから、婦人部の本部長に電話をし、報告すると共に、一度入ってもらいたいとお願いした。数日後、本部長を連れて、例のお宅へ行ったところ、奥さんは部屋の奥から出てこない。仕方がないので上がらせてもらい、無理矢理、話をした。本部長が懸命に話しかけるが、俯(うつむ)いたままで何も言わない。奥さんの話は、やはり被害妄だったようだ。


 夜、旦那を拠点へ呼び出し、全てを伝えた。を飲んだまま、驚きを隠せない様子だった。「そうだったんですか……。わかりました。この間は本当にすいませんでした」。「○○さん、色々あるけど、頑張ろうよ。必ず味のあることにしていこうね」と私は励ました。奥さんは、後日、精神科の診療を受け、少しずつ落ち着きを取り戻していった。


 この時は、もう一喜一憂しまくり(笑)。班長の家へ行っては、二人で「大変だあーーーっ!」。B担のところへ足を運んでは、「どうなってんだあーーーっ!」。下手なホラー映画よりもスリルがあった。


 私は学んだ。一方だけの話だけでは絶対に判断してはならないことを。


 こうやって、一つ一つの段階を踏みながら、一喜一憂しない生命へと鍛え上げられていった。少なからず修羅場も踏んできた。今では、どんな問題であろうとも、何とかする自信がある。それでもいまだに、幾つかの問題を抱える人々と、悩しながら共戦する毎日である。楽な人生は望めそうにない(笑)。


 今日は、男子部の日。