未完成だからこそ未来性が輝く

 青年で、力もある、分別もある、包容力もあるというのは、理かもしれないが、必ずしもその必要はない。青年は未完成である。ゆえに未来があり、成長があるのだ。少しぐらいの欠点があっても、青年らしく猪突猛進する勇気と情熱がなければならない。
 顔色がよく、あの人に任せれば安だといわれるようになれば、それが無言の指導となる。“同志を少しでも信強盛にしたい。幸福になってもらいたい。また、自分の責任を全うしたい”と願ってゆくことが指導力である。才覚や政治のみを真の指導力というのではない。


【『指導メモ』 1966-06-01発行】


 20代前半の頃、しがみついてきた指導の一つ。理と力不足の葛藤にしみ、それでも尚、責任を果たさなくてはならない使命の軋轢(あつれき)にもがき、ただただ、必死に毎日を過ごしていた。


 青年ならば、「彼は、何をしでかすかわかったもんじゃない」と壮婦から言われるぐらいの勢いが欲しい。どうも最近は、大人しくて、小ぢんまりしてるのが多い。失敗やエラーを極度に恐れ、何だか、役所の窓口に座っているような顔つきをしてるのが多い。広宣流布よりも、髪の色が気になるような男子部も見受ける。概して、皆、スマートだ。若い内は、もっと、泥臭くいこうぜ(笑)。


 幹部としての原型・スタイルは、地区リーダー時代で決まる。それ以降は、どう頑張っても変わらない。だから、地区リーダーをずらりと並べて、見る人が見れば、将来の組織構成が浮かんでくる。


 地区リーダーになれば、勤行の導師になる機会がある。そして、後輩の面倒をみる側に立つ。我が組織をどういう方向に持ってゆくか、という構も必要になれば、壮婦との連携も求められる。その位置を、どこまで深く自覚し、我が地区を開拓したかによって、将としての基本的なスタンスが決定されるのだ。


 若い内は、ブレーキの壊れたスポーツカーのように走ればいい。八甲田山の雪の行軍のように、闇雲に進めばいいのだ。ちゃあんと、大宇宙のリズムに合致して、次のハードルが見えてくるから大丈夫。


 人が育ってきた時、人が増えてきた時に、自(おの)ずからリーダーの資質は磨かれる。ここに至って、真の責任が芽生える。


「無言の指導」という言葉が実に味わい深い。私も経験しているが、時と場合によっては、「そうか」の一言だけで救われる場合があるのだ。「あの人を見ているだけで、勇気が湧いてくる!」こう言われるようになれば一人前。修行の道は、まだまだ続く。