清らかな信仰を守れ

 ――世間の多くは、自身の利害と打算によって動いている。経済的に、また立場上、得になるかどうか。誉になるかどうか。美の裏のは、あまりにも卑しく、情高い場合が多い。
 こうした社会の常識から見る時、信仰の世界は、恐らく像もできないほど、純粋で無私であり、真と献身の世界である。
 ゆえに周囲の人々からは理解されがたい世界であるように見えるかもしれない。純粋なるがゆえに利用されたり、圧迫されたり、侮辱される場合もある。残であるけれども、これが現実である。しかし私どもは、尊き清らかな信仰の世界を、絶対に守っていかなければならない。


7.3各部合同総会 1988-06-26 創価文化会館


 歴史に残る大指導の一つ。モスクワ大学創立者ロモノーソフを通してスピーチ。日顕による宗門問題を予見されたとしか言いようのない指導だ。


 組織のあり方、リーダー論を示した後で、大学を設立するためのロモノーソフ衷(くちゅう)を紹介。援助を申し出た高官は、ロモノーソフの構に次々と介入する。だが、高官の援助なしでは大学はつくれない。

 やむを得ず、ロモノーソフは妥協すべきは、甘んじて妥協した。(中略)ただ、ロモノーソフは、モスクワ大学を未来永遠に発展させていくために、どうしても必要な根本の理だけは、絶対に譲らなかった。


 宗門問題や、反逆者に対する学会の姿勢に疑問を呈する人は多い。竹入義勝について、「どうして悪い人物だとわかっていながら、その時に糾弾しなかったのだ?」というもある。これは、信仰の世界がどれほど寛容に包まれたもので、一人を守るために数多くの人々が献身的な行動をしているかを知らないためだろう。そうであればこそ、反逆者は徹底的に叩くが、退転者に対しては沈黙を保っているのだ。


 友人から、「よく、そこまでやれるな」と言われたこともしばしばだ。学会員のDNAには、“人に尽くし抜く”要素が組み込まれている(笑)。だから、「友が大変だ!」と知れば、それが、全く知らない人であっても自然に祈る態勢ができてしまう(笑)。考える前に身体が反応している。


 先日も、ある幹部の義父が転倒事故を起こし脳内出血。地域の同志はもとより、MLでも応援の唱題をお願いしたところ、燎原に火が放たれた如く、祈りの炎が上がった。先ほど連絡があり、奇蹟的に出血は止まったとのことで、明日、集中治療室を出て、大部屋に移動するという話だった。実は、私もこの方とは会ったことがない。


 祈りが真剣であり、必死である分、喜びはいや増して大きい。


 学会員の真からの無私の行動は、釈尊に砂の餅を差し出した徳勝童子に勝るとも劣らぬものだ。学会には、世人が理解できないほどのの深さがある。


 その麗(うるわ)しき信仰の世界を蹂躙(じゅうりん)したのが、破壊僧・日顕である。酒色に溺れ、遊興に耽(ふけ)り、遊ぶだけ遊んでおきながら、先生を切り捨て、学会を破門にした。日達上人の事績をことごとく破壊し、遂には本門の戒壇である正本堂まで破壊し尽くした。更には、返す刀で大量の桜の木を伐採。遺骨は米袋に突っ込んで不法投棄。この世俗の垢(あか)にまみれた極悪坊主に対して、世界中から「ノー!」をつきつける署の数は、1624万9638人に及んだ。以降、最高裁では7度も宗門が断罪され、その内、2度は日顕本人の罪に及んでいる。それでもいまだに、除歴への恐怖に震えながら、跡目を我が子に世襲させようとたくらんでいる。

 増上慢の比丘は(まさ)将に大坑(だいきょう)に墜ちんとす(152頁)


 衆目の前で大きな穴に堕ちた提婆達多の如く、地獄が大口を開けて日顕を待っていることだろう。