子供の弟子になる母親は鬼子母神

 婦人は、子供の弟子にならないように、注しなければならない。子供にを奪われて、信もしっかりできない母親は、自分も女として向上しないばかりか、子供も立派に成長させられない。そうした姿は、主人に影響を与えて、主人も働けなくなってしまう。一家は、母親がしっかりしなければならない。
 子供に引きずられている女は、経文にある鬼子母神と同じ場合がある。子供の自主を結局は奪い、子供の成長を止めてしまう。そして、子供を取って食らう鬼神のごとく、やせこけた、人相の悪い女となってしまうのだ。


【『指導メモ』 1966-06-01発行】


 パブリック(公)の精神が稀薄な時代である。ファミリーレストラン内で騒ぎ放題の子供達や、電車やバスでの中高生のけたたましい喋りに、頭を抱えたことは誰だってあるだろう。他人への眼差しを失った子供達は、エゴイズムという坂をまっしぐらに走ってゆく。


 学会にあっても、会館内でお菓子を食べている幼児や、幹部指導になると必ず騒ぎ出す子供を見受けることがある。甘やかされて育った子供達の将来に、暗い予を覚えてならない。


 もっと酷(ひど)いのは、未来部の会合の連絡へ行くと、親が現れて居留守を決め込むケース(笑)。家族がになって、子供の足を懸命に引っ張っている。前にも書いたが、親が幹部であっても、こうしたケースがままある。


 女五障三従の身であると説かれる。五障とは、女がなることのできない位を指し、三従とは、「幼くしては親に従い、嫁(か)しては夫に従い、老いては子に従う」というもの。社会的に弱い立場で、主体のない生き方を味する。この考え方は、洋の東西を問わないようで、『女の一生』と題した小説は、必ず不幸な結末を迎えている。


 幼い子供にとっては、親が最大の環境となる。子供の言いなりになって、ただ歓を買っているだけでは、親の使命を果たすことができない。幼児教育を、昔は躾(しつけ)と言った。躾によって子供は、社会と人間の中で、「身」を「美」しく保つことができた。


 現代社会においては、我が子への過剰な期待が、理的虐待になっているケースも多い。先日も、立て続けに両親を殺害するという痛ましい事件が起こった。

 父母を打(うつ)子あり阿闍世王なり(958頁)


 子供は、親の所有物ではない。未来からの使者である。いずれにせよ、親の生き方がそのまま子供に反映する。「学会をよろしくお願いします」と頭を下げる先生の姿を、我々はもっともっと真剣に受け止めてゆかねばなるまい。