学会の信心に無量の福運が

 私が本日申し上げたいことは、創価学会の信にこそ、無量の大福運・大功徳がある、ということである。
 いうまでもなく創価学会の運動ならびにその根本路線は、御本日蓮大聖人のご精神に直結した信そのものに貫かれている。ゆえに、この信血脈を受けた皆さん方が、宇宙大の福運と功徳を享受できることは絶対に間違いないことを、私はを大にして宣言しておきたい。


【新年勤行会 1977-01-01 東京・創価学会本部】


 昭和52年の元日に行われた勤行会である。


『広布第二章の指針』(第9集)に収められた指導は要旨のみ。私は札幌にいた時、この指導をテープで聴いたことがある。新年を寿(ことほ)ぐムードは全くなかった。先生の雄叫(たけ)びは凄まじい迫力で、何らかの覚悟が込められていた。会場から伝わってくるのは、異様な緊張だった。そして115日、関西戸田記講堂にて第9回教学部大会が行われ、先生は「仏教史観を語る」と題して講演。この内容に坊主どもが癖をつけて第一次宗門問題が惹起した(創価班の事実上の結成となる第1回総会が16日に開催されている)。


 正本堂建立の際に、「流血の惨も辞さず」(昭和47年630日付)との脅迫文を宗務院に送りつけ、狂乱の極みにあった妙信講(現在の顕正会)問題が、昭和49年(1974年)に再燃。この年の104日に、妙信講の若手80が学会本部を襲撃。街宣車を門扉に突っ込む事件があった。


 昭和50年(1975年)10には、山崎正友が墓苑をめぐる「土地転がし」で4億5千万円の裏金を手中にしていた。


 翌昭和51年(1976年)、『月刊ペン』の3号と4号で根も葉もないスキャンダルが報じられた。


 内外の策謀と逆風が渦巻く中、同年125日、戦後初の任期満了による衆議院選挙が行われ、公明党は56議席を獲得。遂に第3党へと躍進した。


 第一次宗門問題は今から考えると、坊主どもによる茶番劇に過ぎなかった。「学会に行き過ぎがある!」などと騒いでいたが、「行き過ぎ」とは“在家であっても供養を受ける資格がある”との一点に癖をつけたものだった。この講演は今読んでも何の問題もない。教史を踏まえた上で、広宣流布のあるべき姿を論じただけに過ぎない。宗門問題の本質は、自行化他の実践なき坊主どもが、供養が減ることに対する恐怖から、偉大なる信徒にケチをつけただけの話である。学会の勢いに恐れをなし、何が何でも“僧侶が上で、在家は下”という関係を死守したかったのだろう。また、戸田先生の会長就任以来わずか20数年で、これほどまでに発展した創価学会に対する嫉妬もあったはずだ。


 衛星中継が実現していれば、わけもなくこの問題は乗り越えられたことだろう。しかし実際は、講演がレコードにはなったものの、結果的に弟子が師匠を守ることはできなかった。


 迫り来る宗門問題を前にして、先生は、「創価学会の信にこそ、無量の大福運・大功徳がある」との大宣言をされた。

 讃(ほ)むる者は福を安明(あんみょう)に積み謗(そし)る者は罪を無間(むげん)に開く(291/310/974/978/1039/1103/1595頁)


 安明(あんみょう)とは須弥山(しゅみせん)のこと。ヒマラヤ山脈のような功徳を受ける資格があるのは我々、学会員だけなのだ。この一年功徳爛漫と薫る年として参りたい。