生命の力用は時空を超える

「生命」の力用(りきゆう)とは、まことに不議である。強靭な「精神」は、時を超え、空間を超えて、響き、伝わっていく。目に見えるようなの“流れ”があるわけではない。だが、「」から「」へ、透徹した一は確かに流れ、継承されていく。


【11.18創立記勤行会 1988-11-18 創価文化会館


 これ血脈なり。血脈とは、時代や環境を超えて、人間の魂と魂とが深く共鳴することの謂(い)いであると信ずる。そして、ここに眷属の妙もある。


 獄死された牧口先生の一は、戸田先生池田先生の大闘争によって、190ヶ国にまで広がった。学会員を乗るのであれば、どこにあろうとも、初代・二代・三代会長の眷属である誇りに燃えていなくてはならない。

 王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりともをば随えられたてまつるべからず(287頁)


 これは、三度目の国主諌暁の際に、大聖人が平左衛門尉に向かって放った言葉。戦時中、時の法主が立ち会う中で坊主どもは、神札を受けることを学会に勧めた。牧口先生は、「承服いたしかねます」と言下に拒否。この瞬間、大聖人の生命の力用は、坊主どもではなく、牧口先生に流れ通った。創価学会仏勅和合僧となった歴史的瞬間である。


 また、人類や人権のために戦った人々の言葉が、我々の胸を打ってやまないのも、同じく“生命の力用”といえよう。


 強靭なる一は、広範な人々を動かす。


 青年部時代、結果がふるわない幹部とやり取りしていると、「一が足りませんでした」という幹部が時々いた。「足りないんだったら、足せ! 大体な、コショーや調味料じゃあるまいし、足りたとか足りないという問題ではないだろう。おかしな日本語を使うな! 一は、強いか弱いかだ。弱い一を正当化するな! その言葉で、既に次の敗因をつくっているのだ」と私は言った。かような弱い幹部を、“羊千匹グループ”と命しておこう。


 最後の池田門下生である我々の課題は、師弟直結の信を築くことにある。先生のを知り、先生の祈りをじ、先生の一に連なることが我々の責務である。


 先日、行われた本部幹部会を先生は風邪のため欠席された。私は考えざるを得なかった。「いつの日か、これが当たり前になる時が訪れるのだ」と。その時にいち早く立ち上がって、多くの会員を励まし抜く人が本物の弟子である。そして、妙法を信じ、広布をじるの強い人のみが、本物の学会幹部だ。