自分一個のために信仰している人に、魔は起こらない

 学会は、これまで諸にあい、ことごとく乗り越えてきた。そこに真の大聖人門下の証も栄光もある。
 牧口先生は、常々「悪人の敵となりうる勇者でなければ、善人の友となりえぬ」と言われていた。悪と戦う勇気がなければ、自分もまた悪に通じてしまう。
 更に「自分一個のために信仰している人には、決しては起こらない」「(しかし)敢然と大悪を敵として戦っているような者であれば、三障四魔紛然として競い起こるのが当たり前であり、起こるが故に行者といわれるのである」(趣)と。
 これが御聖訓を拝しての牧口先生の確信であり、覚悟であられた。牧口先生は、この言葉の通りに、国家神道と結びついた軍部権力の弾圧と戦い抜かれた。
 そして、創立の日から、ちょうど14年後の1944年(昭和19年)1118日、厳寒の獄中で、殉教の生涯を終えられた。時に73歳――。
 ここに、崇高なる「創立の一」が、永遠に崩れざる「誉れ」として刻印されたのである。
 この「創立の一」に、第二代戸田先生は、ただ一人続かれた。第三代の私は、この戸田先生の弟子の道をまっしぐらに貫いてきた。師弟という無二の軌道を微塵もゆるがせにせず走り抜いた。ゆえに私には何の悔いもない。そして、何の恐れもない。
 この初代から二代、三代と続く忍の系譜にこそ、不滅の学会精神が脈動している。


【11.18創立記勤行会 1988-11-18 創価文化会館


 馬鹿の知恵は後から出ると言われる。この指導を読んだのは、2座談会で「兄弟抄」の講義をした直後のこと。信のリズムが遅れている証拠だ。参ったね、ホントに。


 牧口先生は、法華経の“信者”、“行者”、“学者”がいると鋭く指摘。信者・学者には三障四魔なく、迫害もない。だが、日蓮大聖人は法華経の行者であられた。その広宣流布の信に連なるために、創価学会が立ち上がった。牧口先生は、「進んでを駆り出せ!」と叫ばれた。


 いたずらに世間との摩擦を起こす必要はない。しかし、必要以上に摩擦を恐れる人物に、社会を変革しゆく気概はない。まして、牧口先生が生きたのは、軍国主義言論統制されていた時代である。官憲が立ち合って監視する座談会場で、堂々と法正義を語る姿は師子吼そのものであった。


 というのは、信に応じて現れる。いつまでも、己煩悩に負けているような人は、確固たる成長がない。いつしか、負け癖がつき、身口意の三業によって、“負ける自分”が常態となる。かような人物に限って、会合では一丁前に戦っているような顔をしてみせるのだ。こういうのを、エセ学会員とづける(笑)。


 弱い自分に勝てるようになると、今度は他人の悩みを引き受けるようになる。自然とそういうコースに入る。更に、段々と複雑な問題と関わり合うことになる。自分が直接、手をつけられない状況も出てくる。そこが第二の関門である。ここを乗り越えられれば、幹部として及第点。私の経験から言えば、30歳までに、この段階をクリアしておかなければ長期戦になってしまう。信年数・役職は全く関係ない。


 総区の男子部幹部会で、若手メンバーの育成を目的に何かやろうということになった。総区男子部長の下(もと)で私が責任者となり推進。この時、私は30歳。20ほどの若手メンバーの中に、社会人サッカーチームに所属する男子部が二人いた。まだ、Jリーグがない頃で、二人とも長崎県国見高校出身だった。サッカーに無知な私が、「ヘエ、じゃあ、サッカー巧いんだな」と言うや否や、サッカー好きの若手から、「小野さん、彼等ぐらいになると、巧いとか下手とかそういうレベルじゃないんです!」とたしなめられた。


 当初、総区男子部長は宗門問題に関する研究発表を目論んでいたが、私がそれをぶち壊した(笑)。私は若手の見を尊重することにした。その結果、一世を風靡していたロベルト・バッジョの劇を行うことになった。限られた練習時間の中で、私は今まで知らなかった若手メンバーの育成に全力を注いだ。この時、サッカー選手の二人とやり取りして驚かされた。彼等は、私が学会の組織で12年かけて身につけてきたことを、サッカーから学んでいた。異なる分野であっても、“戦う”ことの現実は同じなのだ。私はそのことから、彼等がどれほど厳しい世界に身を置いているかが、直ぐに理解できた。


 その一人である立石(たていし)君は現在、大分トリニータでコーチを務めている。創大出身の彼は、既に何度か聖教新聞でも紹介されている。


 どんな世界でも、戦ってゆけば困が現れる。ましてや、生命という次元で戦う我々には、更に熾烈な障が競うことは必定である。池田門下を乗るのであれば、「忍の系譜」に連なる日々の闘争でありたい。

付記


 そうそう、ウッカリしてた。この会合は大成功に終わった。事前に送ったメッセージに対して、何と、ロベルト・バッジョから返事まできた。取り次いで下さった国際部の方も、「考えられない」と驚いていた。メッセージは、情熱の塊(かたまり)と化した私が、い入れたっぷりに書いたものだった(笑)。私は何にも増して、世界的なスーパースターが、見知らぬ日本の同志のために激励を惜しまぬ行動に嘆した。あのバッジョ氏の直筆サインが、若手メンバーの成長の証のように見えてならなかった。


 2005-03-14