青春の誓いを裏切るな

 諸君は、若き日に広布を誓い合い、多くの同志とともに金の歴史を刻んでいる妙法の青年リーダーである。諸君にだけは絶対に退転してほしくない。信の挫折である退転は、いかなる理由があったとしても、自分自身を、そして、自身の青春の誓いを裏切ることになってしまうからだ。それでは、あまりにも惨めである。
 私も、師・戸田先生との若き日の“誓い”に、人生の全てを賭けてきた。あらゆるに耐え、信の道を進んできた。価値ある人生は、青春時代の“誓い”を、生涯貫くところに実現されることを確信していたからである。今は全く悔いがない。
 信仰の真髄は“生涯不退”にある。どうか諸君は、幸不幸の人生の荒波を経たとしても、どこまでも青春の誓いも固く、生涯、求道と不退の大道を歩み抜いていただきたい。


【青年部代表者会議 1986-12-27 創価学会新館】


 5日間ほどお休みを頂いた(嘘)。実は、レンタルサーバーの契約が切れていたため、サイトが消失してしまった。いやはや、青くなっちまった(笑)。サーバー会社も呑気なもので、案内メールを1通寄越しただけで後は知らん振り。まあ、これを見落としていた私が悪いんだけどね。復旧の目途が立つというので契約を更新したものの、土日を挟んで本日の再開となった次第。昨年の66日に引っ越し、全く同じ日に再開するってのも不議ですな。今日は、牧口先生のお誕生日。


 このように、Web上にアップロードした情報というのは、うたかた(泡沫)みたいなところがある。デジタル情報はコピーしやすく、消失しやすいことを頭に置く要あり。


 ってなわけで、ボランティアによるバックアップ委員を募集します(笑)。Web自動巡回ソフトなどを使って、ログを保存して頂けると幸い。


 ま、なくなりゃ、なくなったで、最初っからやり直すだけ――という覚悟はありますぞ(ニヤリ)。


 この指導では、「真面目」の字義に触れた上で、次のように指導。

 要するに学会は、真面目だったからここまで大発展を遂げた。このことを絶対に忘れてはならない。真面目さの中に凝結した自己の人格と一が、我が人生を飾っていくのである。


 更に、青年部時代の華やかな舞台から、壮年部の地味な活動の場へ進む場合もあるが、「本有常住」の一で一切を開きゆくことを強調。上記の指導が結論となっている。


 私の青年部最終役職は総区副青年部長である。副支部長兼任の地区部長で壮年部入り。3年前に東京都下へ引っ越し、一昨年からはブロック長を兼任している。この間、ただの一度も我が誓いを裏切るような真似はしてない。役職や所属が変わった程度で変節するような信をしているつもりもない。いつ、いずこにあろうとも、自分のいる場所で、本物の創価学会をつくる決に燃えている。


 しかし、青年部の最高幹部に対して、「諸君にだけは絶対に退転してほしくない」と語る先生のはあまりにも深い。

 いかにも今度信をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同ならば地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや、経に云く「我久遠より来かた是等の衆を教化す」とは是なり、末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり、日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰(あまつさ)へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、ともかくも法華経をたて身をまかせ給うべし(1360頁)


 有あるが故に、わかったつもりになっている御聖訓の一つ。「地涌の菩薩だから題目を唱えている」のではない。「題目を唱えているから地涌の菩薩」なのだ。つまり、題目を唱えなくなった瞬間から、地涌の菩薩ではなくなるということ。「日蓮が一門となりとおす」とは、死ぬまで自行化他にわたる題目を唱え切ることに他ならない。途中で退転するようなのは、地涌の儀式の途中で転んだか、引っ込んだかしたのだろう(笑)。


 日々、「戦い切る」ことが大事である。余力を残せば、“力を出し切れない自分”を築いていることになるからだ。


 今日一日の不平不満が退転の因となり、今日一日の大闘争が不退転の因となることを確認し合いたい。