傲り高ぶった人間は最低の人間

 人間の“傲り”ほど醜い情はない。師の戸田先生もこの一点には常に峻厳であり、よく「傲り高ぶった人間は、最低の人間である」と語気を強めておられた。
 社会にあっても、また、広布の組織にあっても、決して“傲り”の人であってはならない。“傲り”の人からは、おのずと人が離れ、友人や後輩も次々とその人の元を去ってゆくものだ。これほど寂しいことはないし、悲しいこともない。
 政財界や学園の世界を始め、いかなる分野にも傲り高ぶった「権威」と「利」の人がいるものだ。しかし、そうした人々の“傲り”のを豊潤な人間へと変えゆく労作こそ、他ならぬ私どもの信であると自覚したい。真実の人間生命の変革は、「妙法」による以外にないからである。まさに、正しき信仰とは、人間の精髄を発揮させゆく王道である。
 ゆえに、私どもの折伏弘教は、地球上のあらゆる“傲り”の存在と戦いゆく民衆の一大運動となっているといえよう。
 ともあれ、我らは決して傲慢ではなく、信の信で全てに勝った。その信に多くの人々が和合していったのである。


【東京各区合同記幹部会 1987-12-19 江東文化会館


「『傲慢』というの教科書があれば、あの野郎は、巻頭にカラーで登場するだろうな」と私は笑い飛ばす。


 威張り腐った幹部はたしなめろ。それができなければ、皆がしむのを黙って横目で見つめるしかない。


 最近増えているのは、一見、腰が低いように見えながら、その実、傲慢な幹部である。


 勤行唱題をしない幹部、家庭指導をしない幹部、聖教新聞を読まない幹部は、皆、傲慢の人である。問題を知りながら、手をこまねいて何もしないのも傲慢な幹部の典型。御書を拝読しないのも、役職にぶら下がってるだけで責任を果たさないのも同様。こうして見ると、山ほどいますな(ニヤリ)。


 もっと手っ取り早く判断する方法を教えて進ぜよう。最前線に入ってない幹部、指導を受けてない幹部が、傲慢な人物なのだ。上辺だけの人柄なんぞに騙(だま)されちゃいけませんぜ(笑)。


 皆のしみを知って、一人立ち上がるリーダーがいれば組織は守られる。「まあ、まあ」なんぞとお茶を濁すような幹部は、広宣流布の邪だ。


 学会で通用するのは、“信”の権威だけだ。