わずかな心の隙が魔の跳梁を許す

 つまり、太田親昌(ちかまさ)や長崎時綱の二人の退転は、彼らが駿河の中者であった高橋六郎兵衛入道と情的なもつれがあり、そこを行智らにつけ込まれたものと考えられる。
 情のわだかまりから生まれた、わずかなの隙(すき)。そこに、すかさず入り込んだ「悪知識」によって信を破られてしまう。それのみか逆に、かつての妙法の同志である子達を散々に迫害する。ちょうど、近年の山崎某や「正信会」によって、退転と反逆の道を歩んでしまった卑劣の輩とよく似ている。しかし、二人とも、法は厳然であった。信において、全く怖いものは「悪知識」である。


 信の実践にあっては、“いかなる人につくか”、それによって成不成が決まってしまうといっても過言ではない。本当に広宣流布のためになっているのか、また、護法のためになっているのか、その点を大きな基準として“つくべき人”を決めていかねばならない。


【第11回富士宮圏幹部会 1988-03-01 富士宮国際文化会館


 人は情の動物である。プログラムを入力すれば、その通り動くというわけにはいかない。リーダーの役目は正論を吐くことではなく、皆のを知ることであろう。


 情が理を狂わせ、わぬ誤解に発展することもある。人間の組織は一筋縄ではいかない。きちんと交通整理をする人がいなければ、支部はおろか、本部までが、デマ情報に翻弄される場合すらあるのだ。そうした例を私はいくつも知っている。かような組織は、悪い人物がはびこりやすい。巧みな情報操作によって、組織はいいように振り回される。


 太田・長崎の両が敵にを売り渡したのは弘安2年。ここ一番という大切な時に、必ず悪党は正体を露呈することになっている。ご存じのように行智は、熱原の農民をいじめ抜いた稀代の悪僧。

 大田の親昌・長崎次郎兵衛の尉時綱・大進房が落馬等は法華経のあらわるるか(1190頁)


 尚、太田親昌は、太田兵衛次郎と同一人物と推測されている。


 悪知識は、同志や組織に対するマイナス情に理解を示し、急速に接近してくる。惰弱な人物は、狡猾な手口によって利用されていることにも気づかず、いつの間にかコントロールされるようになる。はい、退転者の一丁上がり(笑)。


 一緒に班長になった先輩がいた。数年間、共に活動していたが、部長が退転した時に、大いなる不信を起こした。そして、私が上京した直後から、会合に出なくなった。悲しいい出である。当時、私は何度も力説した。「部長がいなくなった今こそ、部長から受けてきた訓練を発揮する時だよ!」、「部長に対する謝のがあるなら、今まで以上に頑張らなきゃいけないよ!」と。私の母は常々、この部長のことを悪く言った。私はライオンがが吠えるように、「うるせえ、くそババア! てめえの子がお世話になった人に対して、よくも、そんな口が利けたもんだな。ぶっ飛ばすぞ!」と怒鳴りつけた。私は今でも、この部長に対するを忘れたことはない。いつの日かきっと、再び広布の庭に戻ってくることを信じている。


 何もない時であれば、「やっぱ、依法不依人でしょ」となる。ところが、いざ自分の周りにが競うと、そうはいかなくなるのが凡夫の常。が揺れなくなるまでには、少なくとも10年以上の訓練が必要だ。それ以降だって、大変なのよ(笑)。後継者としての確かな軌道に入ると、どんどん大変な問題を引き受けざるを得ないコースになってゆく。しかしながら、力がついてくると、問題が出てくる度に、「よっしゃあ、俺の出番だ!」となるから不議だ(笑)。