率先垂範が指導者の要諦

 インド独立の父・ガンジーは、どんな指導者であったか。
 その後継者で、間近に見つめてきたネルー初代首相の洞察は、味わい深い。
「彼(ガンジー)が支持するすべての改革案、彼が他人に与えるすべての忠告は、真先に自分自ら実行する。彼は常に自ら始める。そして彼の言葉と行動は手と手袋のように互いにぴったり合っている」
 常に率先垂範! これが指導者の要諦といえよう。
 今、学会全体として総力をあげている「青年部の育成」そして「未来部の育成」についても、リーダーの皆さまが先頭に立って、励ましのをかけ、あらゆる手を打ち、全魂を注いでいっていただきたい。
 えば、日蓮大聖人は、門下の家庭の子どもたちを、広宣流布の後継者として、宝のごとく大切にされていた。大聖人御自身が、南条時光をはじめ、乙御前、経王御前等々、若き世代の健やかな成長を祈り、薫育していかれたのである。


【全国総県長会議へのメッセージ 2005-12-09 創価文化会館


 映画『遠い夜明け』や、『ホテル・ルワンダ』を見ると、ガンジーの偉大さがよくわかる。『スパルタカス』の時代に創価学会が出現していたならば、間違いなく“熱原の1500万烈士”という結末が待ち構えていたことだろう。


 権力は、警察と軍隊という暴力装置を持っている。未成熟な社会で、これに逆らう者はあっさりと始末される。それも生半可なやり方ではない。徹底的に虐殺される。


 現代の国際社会においても、暗殺は有効な手段として機能している。


 民衆の連帯を築くには、がうねるようにして広まる必要がある。そして、多くの人々の共を集めるには、高潔な人格と強烈なリーダーシップが求められる。それを、現実に成し遂げたのがガンジーだった。


 学会の組織が弱くなったのは、リーダーが率先垂範の戦いをしなくなったからだ。


 幹部が個人折伏をしてない。折伏精神がないものだから、満足な家庭指導もできない。家庭指導が手だから、歩かなくなる。こうして、“会合型の幹部”が出来上がるのだ。


 折伏の経験が少ないために、見極めができない。誰かが入決をとると、状況判断ができずに、いつまでもダラダラと追いかける。味もなく、題目の応援を依頼する。


 題目の応援ってのはね、決まりそうな友人に対して行うべきものなの。が強くなるから、皆の祈りで跳ね返してゆくのだ。そこに至るまでは、個人の祈りで戦うのが当たり前。


 で、本部長以上も同じレベルだから、こういうことに気づかない。成果が出た時だけ、パチパチ拍手をしているようなのが殆どだろう。


 まあね、よーく幹部の話を聞いてごらん。「やりましょう」とは言っても、「やります」とは絶対に言わないから(笑)。


 言われてやるのが一番つまらない。自分の決と信で、誰が見ていようが見てまいが、淡々と折伏する人が本物だ。折伏しんでするものではない。