元祖デマ男 藤原弘達の正体(上)

原田男子部教学部長●あの極悪ペテン師の山崎正友が、また裁判で断罪された。


高木男子部書記長●愛媛県の学会員の男が訴えた裁判だ。「山碕が書いたデマ本で誉を毀損された」と訴えていた。
 横浜地裁は227日、男側の主張を全面的に認め、山崎に対して110万円の損害賠償を命じた。


佐藤男子部長●いかに山崎がデタラメを書き殴ったか。判決は厳しく糾弾している。
「客観的な裏付けが欠ける」「真実とすることはできない」等とバッサリだ。


森山学生部長●そして「(山崎の)違法は決して低いものとはいえない」と断罪した。


竹内青年部長●これで山崎は、何と裁判で12回目の敗北だ。


佐藤●しかも今年に入って4回も断罪された。
 1.公明党の元町議を中傷した事件で17万円の賠償命令(113日、仙台地裁)。
 2.大阪の学会員を中傷した事件で30万円の賠償命令(118日、大阪高裁)。
 3.元部下の男デマで中傷した事件で80万円の賠償命令(123日、東京地裁)。
 そして先ほどの断罪だ。


竹内●たった2ヶで4回も断罪だ。賠償金も合計237万円にのぼる。
 この一点だけでも、どれだけ悪辣、愚劣か! 明々白々じゃないか。


高木●これが、嘘八百で学会攻撃をやってきた男の醜悪な正体だ。化けの皮は全部、剥(は)がれた。


原田●牧□先生いわく「愚人に憎まれたるは第一の光栄なり」だ。
 学会は愚劣な輩から幾多の嫉妬の中傷を受けてきた。それ自体が完璧な正義である証拠だ。


森山●藤原弘達という男がデタラメな本を出して、学会を中傷したこともあったな。


佐藤●昭和44年のことだ。僕も生まれていない昔の話だが(笑い)、デマの構図は今と全く変わらない。むしろ時が経って、より鮮明になる事実もある。
 我々も青年として一度、徹底的に検証しようじゃないか。


竹内●まず重大なことは、藤原は学会本部や公明党に全く取材をせずに本を出したことだ。


高木●何しろ藤原は、学会のことだけで300ページも書いた。それなのに、ただの一度も取材しなかったんだ。


森山●まったく信じられないな! 僕は聖教新聞の記者だったが、たとえ1行の記事でも当事者に直接、事実を確認した。そう教え込まれた。


佐藤●当然だ。それが物を書く人間の常識だ。最低限のルールだ。


原田●中身もインチキだらけ。実際に読んでみたら、一目瞭然だ。
 書きたい放題、デタラメを書いた揚げ句、肝な部分は「〜だろう」「だそうだ」「であろう」と逃げている。


竹内●最初から最後まで「といえるかもしれない」「という見方もできよう」「過言ではないようである」という調子だ。


高木●極めつけは「いるような気がする」「という側面があったことは否定できない」「というようにも理解することができよう」なんてものまである。


森山●馬鹿馬鹿しい。そんな書き方だったら、誰でも何とでも書ける。


佐藤●要するに全部、臆測。ゲスの勘繰りだけ。デマ本の見本だ。


竹内●その上、全くの間違いがワンサとある。
池田先生の青年部時代の役職を間違えるわ。学会の会員数も大幅に間違えるわ。「一事が万事」で、基本的な事実さえデタラメだった。


高木●そもそも編集のプロセス自体が、いい加減だった。藤原本人が白状している。
「私が書くんじゃない、学生のアルバイトを使って、整理して、それをテープで私の味を出すために読みあげるんだ」(『週刊現代昭和45年122日号)と言している。


森山●メチャクチャだな!


原田●要するに、学生のアルバイトにネタを整理させる。それを藤原は読み上げるだけ。あとはアルバイトが活字にする――それだけで本にしたんだな。


高木●当然、評判は最低最悪だった。特に一流の評論家やジャーナリストは皆「最低の本だ」と馬鹿にしきっていた。


佐藤●たとえば、評論家の大熊信行氏。
「はっきりいって、あの文章からは研究のあとがなにひとつ見出せない。学問的な基礎もなければ、背景もない」とズバリ急所を突いていた。


森山●政治評論家の戸川猪佐武氏も“藤原氏の本は、事実を知らないで勝手なことをいう「軽評論」だ”と酷評していた。
 大評論家の大宅壮一氏は“中身がない。パンフレットを引き伸ばしたようなものだ”とバッサリだ。


原田●ゴミ同然の扱いだな。


竹内●そんな本が、なぜ売り出されたのか。
 当時、学会は池田先生の指揮のもと、大発展を続けていた。藤原の本が出た翌年(昭和45年)には「750万世帯」を突破した。


高木●日本中が学会に注目していた。妬みも凄まじかった。そこに目をつけて「学会のことを書けば、嘘でも何でも売れる」と踏んだんだ。


佐藤●戸田先生デマの本質について明確に教えられた。
「学会のことを書きさえすれば、本が売れるという考え方から、ほんとうの根本理を知らずして、書き殴る」と語っておられた。


原田●まさに藤原のことだ。「元祖デマ男」だ。戸田先生は全部、見破っておられた。


森山●いまだに、その残党が何匹かいるな。もう誰からもまともに相手にされないが(笑い)。


高木●だいたい藤原というのは、下劣千万で有だった男だ。
 毎日新聞の記者も「品下劣なやつだ」と吐き捨てていた。


竹内●藤原をよく知る大宅壮一氏なんか、ずばり「エロ達」と呼んでいた。


森山●彼は一時、教授だったが、そこでも評判は最悪だった。
 同僚も「学生にも評判が悪かった。学者としての人間、品に欠けるという評価が多かった」(平瀬己之吉教授『週刊現代昭和45年49日号)と証言している。


高木●こんな事実もある。
 藤原はアフリカ旅行記を雑誌に書いた。ところが、その内容たるや、自分が黒人女を買春した話をはじめ、下ネタばかり。まるでポルノ小説だった。


森山●ローマに行った時も、現地の日本人に「ローマの女と遊びたいから案内してくれ」と頼んで、大顰蹙(だいひんしゅく)を買った。有な話だ。


佐藤●まだまだあるが、あまりに下品すぎるから、やめておこう。


原田●愚劣なやつ! そんなやつが、学会を中傷するデタラメ千万な本を出そうとした。発売の2ヶ以上も前から、広告まで出して大宣伝していた。


竹内●とにかく悪辣(あくらつ)な「言論の暴力」だった。
 中でも許せなかったのは、藤原が学会の婦人部、女子部を侮辱したことだ。


佐藤●その通りだ。藤原は、こう書いていた。
“キャバレーの女の子には学会員が多い”(『文藝春秋昭和38年7号)
“学会の情報網は信者のキャバレーの女中やホステスが主で、その知的水準の低さは……”(『週刊新潮昭和44年31日号)等々、まるで“遊女”呼ばわりだった。


高木●馬鹿馬鹿しい。「水準が低い」のは、確かめもせずに嘘八百を書き殴る、お前の文章じゃないか!


森山●当時のキャバレーについて、ちょっと調べてみた。
「(昭和30年代後半から)安キャバレーが次々と生まれた。お客とホステスは話がつけばホテルに行くようになり、キャバレー自体が堕落してしまった」(福富太郎著『昭和キャバレー秘史』)という実態だったようだ。


原田●藤原が本にも同じようにデタラメを書くのは明々白々だった。


竹内●だから広告が出た後、学会側は藤原に忠告した。代表が藤原に会いに行った。
“学会に関する本を出すなら、極端な決めつけではなく、きちんと取材もして、事実に基づいて書いてほしい”“そのために資料も提供するし、どこでも案内する”と要望したんだ。


高木●当然だ。それが言論人のルールだ。最低限の常識じゃないか。


佐藤●ところが、藤原は全く受け入れなかった。結局、最後の最後まで、一度たりとも学会に取材に来なかった。これが真相だ。


森山●このインチキ野郎!


竹内●藤原! こんな話もある。
 彼は戦後日本を代表する政治学者・丸山真男の“門下生”を売りにしていた。ところが、これもデタラメ。「詐称」だった。


原田●木物の「丸山門下」から“大嘘つき”と糾弾され、正休が暴かれた。
 寺沢一・東京大学教授(当時)も「(藤原は)丸山先生の直接指導を受けたといったようなことはまったくない」と断言していた。


佐藤●要するに、インチキ、女狂い、自己顕示欲の固まり。そういう男だ。
 その藤原が、まともな取材を全くせずに、学会中傷のデタラメ本を書き殴ったんだ。


森山●「どういう人間が」「どのようにして」書いたか。全部、明確だな。


竹内●更に「どういう時期に」「どういう目的で」書いたのか。この本をめぐる舞台裏も、明らかになってきた。
 これについては次回、語り合おう。


創価新報 2006-03-15付】