臆病の岬を越えよ!

 さて、大航海時代は実質的にいつ始まったのか。このことに触れたい。
 1434年、一人のポルトガル人がアフリカ西海岸を南下していた。彼はエンリケ王子の元で学んだ、いわば“門下生”である。
 王子はアフリカ西海外を懸命に探索していた。そこはまだ“未知の世界”だった。しかし、夢は中々実現しない。なぜか。船乗りたちが、ある地点以上に進もうとしないのである。
 その場所はボジャドール岬。この岬から向こうは、「暗黒の海」と信じられていた。怪物たちが棲み、海は煮えたぎり、滝となって落下していると、中世以来、伝えられていた。
「岬を越えて南進せよ!」。いくら王子が言っても無駄だった。船乗りたちは15年間、王子の命(めい)に背き続けた。ある者は、王子をだまし続けて他の進路をとった。
 面従腹背――それでも王子は耐えた。15年目にとうとう彼は言う。
「おまえたちみんなが、ありもしないことに妄をいだいているのが、まったく不議でならない。もしかりに、世界でいわれているような噂が、すこしでも根拠のあるものならば、わたしもおまえたちをこれほどまでに責めはしない。
 しかしおまえたちの話を聞いていると、ごくわずかの航海者たちの見に過ぎないではないか。しかもその連中というのは、たかだかフランドル地方だとか、そのほかかれらがいつも航海する目的地の港に通じる航路からはずれてしまえば、羅針盤も航海用の海図も使い方がわからない連中ばかりなのだ」(集英社『図説 探検の世界史 1』ダンカン・カースレイル)
 風評にだまされるな! 何も知らない者たちの噂にだまされるな!――王子の叱咤に、ついに一人の門下が肚(はら)を決めた。
「行こう! 岬を越えよう!」
 そして彼は超えた。王子の確信通り、“向こうの海”は何でもなかった。
像していたのと、実際は正反対だった!」


第20回本部幹部会 1989-08-17 長野研修道場


 応仁の乱が1467〜1477年。日本が戦国時代に突入した頃に、エンリケ航海王子は世界を目指した。


 そういや、カンサスというバンドのアルバム・ジャケット(『暗黒への曳航/point of know return』)が「暗黒の海」だった。また、7世紀頃のインドでは、大きな亀の上で、象が世界を支えていると考えられていた(「地図のれきし」)。果てしない海の向こうは、恐怖の対象でしかなかった。



 15年という時間をかけて、エンリケ航海王子は人々の迷妄を打ち破る。科学的態度と道理を尽くして。


 現実の航海にあってすら、これほどの困があった。まして、釈尊や大聖人が妙法を覚知し、説こうとした時、どれほど巨大な壁が立ちはだかったことだろう。まさしく、像の域を超えたものであったに違いない。


 エンリケの一が、皆のに革命を起こした。一艘(いっそう)の船が壁を破って、未知への世界に躍り出た。それによって、全ての船が世界を目指した。


 我々にも根拠のない先入観が存在した。“坊主”というだけで尊敬していた時期が確かにあった。葬儀法要は坊主の仕事とい込んでいた。我々は僧俗和合という指導を忠実に守ってきたが、学会の発展に乗じて坊主は金の亡者と化していた。


 まあね、大きなハードルは日顕問題によってクリアしたが、小さなものは、まだまだ、あるよ(笑)。御書をしっかりと研鑚してないと、組織悪に翻弄されるから、お気をつけ遊ばせ。

 法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり(1169頁)


 そうであれば、道理に合わないことは、きっちりと拒絶できてこそ、“自立の信仰”といえよう。道理に外れたことを「信で受け止める」のは、皆がしむ結果になるので、悪であると認識されよ。