元祖デマ男 藤原弘達の正体(下)

原田男子部教学部長●ところで前回、「元祖デマ男」藤原弘達ひろたつ)の話が出た。


高木男子部書記長●藤原の出した学会中傷の本が、どれだけデタラメだったか。
 何しろ藤原は、学会にただの一度も取材せずに出版した。しかも、自分は書かずに、学生のアルバイトにまとめさせた。この一点だけでも明々白々だ。


佐藤男子部長●藤原が本を出したのは、昭和44年1110日だ。これが、どういう時期だったか。
 3週間後の122日、衆議院が解散し、同27日には衆院選が行われた。


森山学生部長●選挙の直前のタイミングに出版したんだな。


原田●当時の新聞等を調べてみた。この年は早くから「衆院の解散が5か年末にある」と取り沙汰されていた。
 7には都議会議員選挙があった。だから、5の解散がなくなった時点で「解散は11の佐藤首相(当時)の訪米後」という見方が強まっていた。


高木●829日には、佐藤首相自身が「12解散」を示唆した。マスコミが一斉に報じ、一気に年末選挙のムードになった。


佐藤●当時の関係者の話によると、藤原の本は7に出版企画が煮詰まったという。831日には全国に広告を出した。


原田●首相が解散を示唆した翌々日に広告を打ち、解散の3週間前に出版した。衆院選への流れと完全に動きが一致している。


竹内青年部長●とうてい偶然とは考えられない。藤原が「選挙の時期」を狙ったことは、当時の記録からも明らかだ。


森山●大体、出版の2ヶ以上も前から、全国に広告を出すなんて、異例中の異例だ。


原田●しかも藤原は、この本を2年前にできたばかりの出版社から出した。当時は誰も知らない会社だった。


高木●そういうところを使わないと出せない代物だったんだよ。


佐藤●その通りだ。まともな本を、まともに売るつもりなら、の知れた出版社から出せばいい。
 実際、藤原は当時、講談社読売新聞社などから何冊か本を出していた。


森山●それだけじゃない。藤原は「初版10万部で出版する」と触れ回っていた。
 本の初版は平均で約8000部と言われている。それが10万部だ。


竹内●無の出版社しか出せないデタラメ本を「初版で10万部」か。誰がどう見ても、まともな出版じゃない。


高木●当時、評論家の大宅(おおや)壮一氏が鋭く指摘していた。
「(藤原の本は)選挙のドサクサを利用し、お買い上げ的な効果を狙って出したという風に、第三者が解釈しても仕方のない一面を持っている」
「場合によっては恐喝の一歩手前という格を持ってくる」と斬り捨てていた。


原田●他のマスコミも見破っていた。
「藤原は、本をまともに売ろうとしたんじゃない。初めから『学会の買い取り』を狙ったんじゃないか」
「選挙前に『さあ出しますよ』と宣伝すれば、出回らないように学会が買い取ると踏んだんだろう」と指摘する専門家もいた。


森山●大宅氏は、藤原の本の内容についても一刀両断していた。
「安易なプロセスによって書き上げられている。きわめてぞんざいな方法である。これではキワモノ出版といわざるを得ない」とバッサリだ。


竹内●書かれた藤原は大慌(あわ)て。狂ったように大宅氏を中傷しだした。
 大宅氏の評論を載せた雑誌にまで「マスコミ界の内ゲバ(=仲間への攻撃)」などと噛みついた。


原田●よっぽど痛いところを突かれたんだな(笑い)。


佐藤●前回も話したが、本の広告が出た後、学会の代表が藤原に会いに行った。
“学会に関する本を出すなら、極端な決めつけではなく、きちんと取材もして、事実に基づいて書いて欲しい”
“また、そのために資料も提供するし、どこでも案内する”と要望した。


高木●ところが藤原は、最後まで一度も取材せずに本を出した。
 それどころか、学会に「買い上げ」の図などないと知るや突然、“言論弾圧だ”などと騒ぎ出した。


森山●なぜ、大騒ぎを始めたのか。自分の本を宣伝しようという魂胆が見え隠れしているな。


竹内●他でもない、藤原本人が“騒いだから売れた”と白状している。
 本の初版は10万部だったが、藤原は後で「騒ぎにならなかったら、3万か5万しか売れなかったろう」と漏らしていた。


原田●要するに、「売らんがため」「金儲けのため」じゃないか。


佐藤●藤原は裏で特定の政治家と根深く結びついていた。「権力の側」の人間だった。
 本が出た後、与党の大物政治家が“よくやった”“頑張ってくれ”と藤原を激励していた。有な話だ。


高木●それだけじゃない。藤原はこの本を宣伝するために、長年「不倶戴天(ふぐたいてん)の敵」だった共産党とも手を結んだ。


森山●その通りだ。当時、共産党は機関紙で毎日のように藤原の本を大宣伝した。誰が見ても、一番の“大スポンサー”だった。


竹内●藤原本人が“共産党は、あれだけ宣伝してくれた。何百万円、何千万円の宣伝費かもしれない”と謝していたほどだ。


原田●だが、その直前まで藤原は共産党について、どう言っていたか。
「(共産党の)やり方はまことに卑劣でありしかも陰険でさえある。ヤミ討ちとか背信などは当たり前のことで、しかも常にカゲにかくれて、同調者を操る」
「日共の現実を知れば知るほど、幻滅は大きく、むしろ嫌悪の情さえおぼえる」等々、完全にこき下ろしていた。


佐藤●ところが、本の宣伝をしてもらった途端、コロッと変わった。その同じ口で「共産党を見直した」「高く評価したい」「謝している」などと持ち上げ始めた。


高木●「まことに卑劣」「陰険」で「嫌悪」してきた相手を、いっぺんに「見直した」「高く評価」か。馬鹿馬鹿しい!


森山●同の評論家からも笑われていた。
「藤原の態度は、どう見ても異常」
「本を売りたいという焦りで『赤旗』を利用したのでは、商人の立場と変わりない」等々、馬鹿にされ抜いていた。


原田●とにかく藤原という男は、病的な「無節操」「無」で有だった。
 経営評論家の三鬼陽之助(みき ようのすけ)氏も語っていた。
「調子がいいんだ。中国の人と話しているときには『佐藤内閣絶対反対』てなことをいってて、日本向けのわれわれの座談会になると『佐藤内閣支持』の立場でモノをいう」と証言していた。


竹内●その男が金儲けを狙って、「商人の立場」で学会中傷の本を書き殴った。これが真相だ。


佐藤●共産党も負けず劣らず、変節の狂態をさらした。共産党はそれまで機関紙で藤原を散々罵倒していた。
「低劣、野卑(やひ)」「(藤原の文章は)およそ低級で、ゴロツキ雑誌などに見受けられる古くさい『アカ』攻撃や中傷」「まじめに相手にする価値あるしろものではない」
藤原弘達なる人物こそ、時の権力におもねって『出世』することしか頭にない『保守的な人間』」(「赤旗昭和42年227日付)等々、口を極めて罵っていた。


高木●ところが、藤原が学会中傷の本を出した途端に大応援。
 掌(てのひら)を返して、藤原を「正義の味方」「真実の友」などと持ち上げ始めた。藤原本人が、そう言っていた。


森山●共産党は藤原に取材し、衆院選投票日の10日前から機関紙に毎日、学会、公明党を中傷する記事を掲載。最後は号外まで出して馬鹿騒ぎした。


原田●「選挙狙い」「票狙い」の魂胆が見え見えじゃないか。


竹内●嫉妬だよ、嫉妬。共産党は公明政治連盟公明党の前身)の時代から、国政選挙で一度も公明に勝ったことがなかった。


高木●その通りだ。公明党衆院に初進出した昭和42年の衆院選挙でも、公明党は一挙に25議席を獲得したが、共産党はたったの5議席。全く相手にならなかった。


佐藤●まともに争ったんじゃ、逆立ちしても公明党には勝てない。そこで「低級で、ゴロツキ」の藤原のデタラメ本に飛びついた。藤原を使って、何とか学会と公明党に嫌がらせをしようと血眼(ちまなこ)だったんだ。


高木●あそこは今も同じだ。偉そうに「理論」だ、何だと言うが、本質は「謀略」「デマ宣伝」。体質が全然、変わらない。


森山●だから皆から、「進歩がない」と馬鹿にされている。


竹内●要するに、藤原のデタラメ本騒ぎは、「金狙い」と「票狙い」で起こしたものだった。


原田●馬鹿馬鹿しい。「信なき言論、煙のごとし」だ。
 今の学会を見よ! 池田先生の指揮のもと、世界190ヶ国・地域に隆々と大発展だ。
 公明党も連立政権参加7年目を向かえ、政界の要として力を発揮している。


佐藤●藤原は、“公明党が勝てば、学会が国教化する”などと馬鹿騒ぎをしていたが、全く逆だ。学会は「世界宗教」だ。今や世界の常識だ。


高木●藤原の末路は惨めだった。平成6年、反学会の宗教団体などがつくった「四会」に顧問として参加。だが、その直後から衰弱し、最後は表に出られなくなったまま、平成11年、病気で死亡した。


森山●四会も平成13年に空中分解し、崩壊した。


原田●戸田先生は、学会に対する、したり顔の浅薄な“評論”を笑い飛ばしておられた。
なぜ、学会は発展しているのか。「学会には信がある! 御本尊様がある! この御本尊功徳から、みな出たものではないか。それに気がつかない」。一刀両断に斬り捨てておられた。


佐藤●御書に「当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり」(1339頁)と仰せの通りだ。
 藤原なんか、「学会の信」を何一つ知らずに、デタラメを書き殴った。「習い損ないの学者」の典型だ。


高木●いまだに、その同類の輩がいるな。


竹内●学会は大発展した。戸田先生が指導された通り、「学会の信が正しい」証拠だ。
 そして、「学会の師弟」こそ、最高の正義である証だ。
 さあ、「5.3」へ! 「青年の拡大」を合言葉に、猛然と戦おうじゃないか!


創価新報 2006-04-05付】