名聞名利の人が仏法を破壊

 世間的に偉くなった人が、法・信を壊してゆく恐れがあることを注しなければならない。議員とか、社会的な地位を得た人が利に流されて、この美しい和合僧団を、令法久住の清らかな哲学を破壊してゆくのです。五老僧法を破壊した事実を、決して過去のこととして見過ごしてはならないといます。


【「創価学会座談会」/1968-01〜1969-04までの本部幹部会の指導を中に、まとめたもの】


 我慢とは元々法用語で「我、慢ずる」と読む。我(が)を誇って、他を軽んじる。これが、どうして辛抱の味で使われるようになったのかね?


 法は勝負、国法は賞、世法は評判である。世間で評価されると、自分が大きくなったような錯覚を覚える。周りの人も自分の言いなりになる。自分が他人をコントロールするのは快だ。そこでは、自分の人間は不問に付され、力の拡大が目的と化す。ここに権力の落とし穴があるのだ。


 一度でも権力の蜜を味わうと、真面目にコツコツやることが馬鹿らしくなる。だから、馬鹿らしいことを真面目に行う庶民を見下すようになる。


 成功した時、結果が出た時、功徳を得た時が一番危ない。は天界に住むのだ。世間でも“好事多し”というが如し。成功に酔った瞬間から堕落が始まっていることを知るべきだ。


 組織の中でも世法がまかり通っている現実がある。まだまだ、“幹部は偉い”というい込みがある。例えば、「座談会に入ってもらえますか?」と地区幹部・ブロック幹部からお願いすることはあっても、幹部の側から「入れてもらえますか?」と頼むケースは全くない。幹部が踏ん反り返っている証拠といえよう。


 最前線がまともなのは、地区幹部・ブロック幹部が動いているからだ。連絡・連れ出しなどの日常的な営みが、広宣流布覚を正常なものにしている。支部幹部以上でおかしいのが多いのは、動いてないからだ。広布のために、誰よりも早く目覚め、日々怠ることなく動いているのは配達員さんだ。自分の都合で適当な活動しかしてない副会長よりも、無の配達員さんの方が、信の位は上だ。