権威主義は必ず行き詰まる

 学会は権威主義、ならびに利であっては絶対にならない。それでは必ず行き詰まってしまいます。自分の単なる情で、下からの見を抑制しては絶対にならない。伸び伸びと皆が見を述べられるようにしてあげ、それで、よい見は取り上げて、実行に移す。よい見をいった人は褒めなくてはいけない。尚、支部員や地区員を自分の部下のようにって、命令で動かそうとってはならない。それでは権威主義であり、信ではない。学会の根本的な行き方でもありません。所詮、絶対に威張らぬことです。そして、特に陰で労している人に温かいいやりをもっていただきたい。


【夏期講習会/壮年部大幹部会 1966-08-03 総本山大石寺・大客殿】


 先生、38歳の時の指導。今、「下から上を動かせ」シリーズをお送りしているが、先生の指導は昔から一貫して変わらない。「古い指導は、時代が異なる」という見もあろうが、私はそうはわない。法という、宇宙と生命の法則を根本にしていればこそ、その普遍は今尚、無限の輝きを放っている。


 権威主義利はセットになっている。権威主義の幹部が頑張るのは、自分の点数を稼ぐ時だけだ。役職を笠に来て威張る愚か者は、虎の威を借るといってよい。


 最近になってわかるようになったのだが、動いてない幹部ほど、言葉を巧みに飾る傾向が強い。大したことでもないのに、「創価家族の」とか、「凄い戦い」とか平然と言ってのける。要は、自分が全く関わってないことを隠蔽(いんぺい)し、愛を振りまいているだけの内容になっているのだ。結局のところ、学会の役職にぶら下がっているだけだ。


 一方的に話す人、偉そうに話す人、志の疎通ができない人――これらは全部、権威主義の人である。権威主義は押し付けとなって、皆をしませる。権威主義は、上の幹部には弱く、下の人々に対しては威張り散らす。つまり、畜生界だ。これが官僚の正体だ。


 女子部を育てることが学会全体の呼吸となっている。それは皆が知っていることだ。だが、婦人部の打ち出しをみると、「若い女以外は折伏してはいけない」といった雰囲気が出てきている。闘争の舞台を狭(せば)めるような方針は、単なる点数稼ぎに過ぎず、悪しき成果主義の見本といってよい。


 個人としてみれば、さほど悪い人物はいないだろう。ところが、幹部として指揮を執ると、無能になる人物が多い。これは、個人の力量と役職が一致してないためだ。愚将の下(もと)では、どんなに頑張ったところで、皆の力は発揮できない。


 最前線で戦う方々が少しでもやりにくかったとすれば、それは、本部長以上の正役職が無能な証拠である。幹部が現場に入ってない。そして、人事を誤る。こうした結果が、現場に色濃く影響しているからだ。


 組織にリコール制を導入して欲しいもんだね(笑)。いずれにせよ、組織内の謗法払いが必要だ。