恥を恐れるな

「一芸を身につけようとする人は、『まだ下手な間は、うかつに、人に知られないようにしよう。ひそかに習得してから人前に出れば、それこそたいへんりっぱに見えるだろう』と言いがちであるが、こんなこと言う人は、一芸も物にできないのである。
 まだまったく芸が未熟なうちから、上手な人の中に交じって、けなされたり、笑われたりしてもに介さず、平気でその時期を過ごして打ち込む人は天分はなくても、中途半端な状態にとどまらず、自己流に走らないで年を送れば、天分はありながら集中力のない人よりは、最後に人の域に達し、長所も伸び、人から認められてを得ることになるのだ」(第150段)
 これもまた、深い示唆のある一節だ。
 学会活動はもちろん、どのような向上の道であれ、遠慮はいらない。
「私には力がないから」とか、「もう少し確信が深まったらやります」とか、そう言っているうちに、人生は終わってしまう。
 まず一歩を踏み出すのだ。うまくいかないことがあっても、「よし!」とい直して、何度でも挑戦すればいい。その連続のなかに成長があり、幸福もある。


徒然草師の指導を語る 2006-08-11 群馬多宝研修道場


 結局、求道が強いのか、あるいは見栄が強いのかということに尽きる。周囲の視線を気にするような腰抜けに、三類の強敵を叩き伏せる矜持(きょうじ)はない。


 30代になっても、40代になっても、うだつの上がらない人物を見ると、「お前は本当に生きているのか?」と訊きたくなる。


 例えば、幹部として雄弁でありたいと誰もが望むことだろう。だが現実は、あまりにも稚拙な話が多い。御書やスピーチを引用するものの、深い捉え方などなく、空疎な内容が大半だ。大した味もない褒め言葉を連発する幹部も多い。副会長クラスであっても、他人のエピソードを紹介するだけで平然としているのもいる。


 本当に雄弁になりたいのであれば、人知れず努力するしかない。だがその前に、「どうしても、これだけは伝えたい! 否、伝えずにいられない!」というメッセージが、自分の中にあるかどうかを見つめるべきだろう。「話すのが手で……」なんて言ってる幹部は、絶対に信用するな。「話したくて、話したくて仕方がない」ぐらいで丁度いいのだ。


 この数年間で、組織の力はがっくりと落ちた。原因は色々あるだろうが、やはり安易な携帯用御守り御本尊の授与が影響しているとう。また、宗門問題を知らない世代が増えていることも見逃せない。そしてこの間(かん)に、広布第一章で活躍した方々が、どんどん亡くなっている。


 今後、少子化によって青年部がどんどん少なくなることが予される。そして、組織での人材育成は困を極めている。今は、自分で力をつけるしかない。運よく、「これは」とう幹部を見つけたら、直ちに指導を求め、学ぶべきことを速やかに吸収することだ。