「死身弘法・不惜身命  此の心は 学会精神のみにある」

 大の嵐の中の昭和54年42日──師の命日に私は書き留めた。
死身弘法・不惜身命
 此の
 学会精神のみにある」
 限りある人生。どうせ生きるならば、「あの人の生きたように!」と後世の人に希望と勇気を送る人生でありたい。
 かの熱原の三烈士のごとく、広布の鏡と仰がれる一生でありたい。


【東京・関東・東海道合同研修会 2006-08-16 長野研修道場


 この一文は、確か小説『人間革命』の扉に書かれたものだと記憶している。創立55周年を祝して開催された「特別記展」で展示され、傷だらけで学会を守り切った師匠の姿を弟子一同は仰いだ。「王爾の時に於て身に刀剣鉾槊(むさく)の瘡(きず)を被り体に完(まった)き処は芥子(けし)の如き許(ばか)りも無し」(28頁)。


 日蓮大聖人は50歳の時、竜の口の法難佐渡流罪に遭った。池田先生は51歳で会長勇退。そして、戸田先生は52歳で登山止めとなっている。


 大こそ、法華経の行者の証である。「大をもちてこそ法華経しりたる人とは申すべき」(1538頁)。


 稀有(けう)な師匠と巡り合いながらも、自分の幸不幸にしか関を持てない愚かな弟子であっては、千載一遇の時を逃すことになる。


 法勝負に敗れておきながら、呑気(のんき)に夏休みを過ごしてはならない。師匠が休んでないのだから。