汝の原野に挑め! 時代を開け!

人間共和の理郷・岩手


「わたしたちは一層新しい、一層力に満ちた世界へ、変化した世界のうえに進出するのだ」
 これは、岩手出身の詩人・富田砕花(とみた・さいか)氏が訳された、ホイットマンの詩である。
「岸辺を下り、隘路(あいろ)を越え、山々の険峻をのぼって、
 未知の路をわたしたちは行きながら征服し、占領し、敢行し、危険を冒す、
 開拓者たちよ! おお、開拓者たちよ!」
 私も青春時代、この詩を、高鳴る鼓動をもって、幾度も詠誦したものであった。
 立春を過ぎてもなお、今は、北国の同志にとって、最も厳しく、辛い寒雪の季節だ。
 しかし、大変な時にこそ、「さあ来い!」と、満々たる闘魂を燃やして戦い勝ってきたのが学会魂である。
 これが、わが栄光の岩手の同志の気だ。


岩手岩手らしく、“希望と開拓”をモットーにして進もう!」
 昭和47年の714日――私は、記撮影会のために、盛岡の県営体育館に集った3600人の友に、万いで、こう呼びかけた。
 風雪に耐え抜いた岩手の天地から、21世紀の広宣流布の新しき流れを巻き起こすのだ。私は、この日、愛する大岩手の新出発が本当に嬉しかった。
「希望」は、いずこより来るか。
 それは「必ず勝つ」「必ずこうしてみせる」という強きーから起こる。自分のいこそが未来を創る。「未来の果」は、「現在の因」に納まっているからだ。
 そして「開拓」とは、自分自身への挑戦だ。
 人は、誰でも未踏の原野をもっている。それも、どこか遠い彼方ではなく、ごく身近にあるものだ。
 手だからと、つい避けてきた課題。先入観から「どうせだめだ」と諦(あきら)めてきたり、「いつかやろう」といながら、いつも後回しにして手つかずだった問題……。
 最も手強い壁は、実はの中にある。ゆえに、勇気をもって自分と向き合い、「自己拡大の戦い」「人間革命の戦い」を起こすことだ!
「汝自身の原野」に雄々しく挑め! その人こそ、最も勇敢なる開拓者である。


 わが岩手の同志は、「団結」の二字で、勝利の道を開いてきた。
 岩手には、大いなる「宇宙への窓」がある。
 国立天文台「水沢観測センター」では、電波望遠鏡を使って銀河系の三次元地図を作る「VERA(ベラ)計画」が進んでいる。
 望遠鏡のアンテナの直径(口径)は20メートルと決して大きくはない。だが、これを、小笠原の父島、鹿児島、沖縄石垣島に同じく設置されたアンテナと組み合わせると、実に直径2000キロのアンテナに匹敵する結果が得られるという。
 その威力は、なんとの上に置いた「1円玉」が見分けられるほどで、これまでの100倍以上の精度で観測できるようになる。
 団結の力も、まさに、このようなものではないだろうか。それは、単なる「足し算」ではない。何倍何十倍にも威光勢力を増す「掛け算」なのである。
 蓮祖は「異体同なれば万事を成し」(1463頁)と仰せだ。
 決然と立ち上がった勇者の強き結合のなかにこそ、不可能を可能にする、驚嘆すべき未曾有の歴史も輝きわたる。
 自らも悩みと格闘しながら、友の悩みをわがとして必死に題目を送り、励まそうと、吹雪のなかに飛び出して行く――これが、岩手の勇者の熱き気であった。この精神こそが、固い固い同志の絆を育んでいったのだ。
 仲の良い、和気あいあいとした団結の姿は、それ自体、人間共和の縮図である。
 この団結のなかにこそ、「境涯革命」がある。利己主義や自分本の我見では、皆とを合わせることができないからだ。ゆえに、団結できるということは、自身のエゴに打ち勝った人間勝利の証なのである。


 昨年、皆様の祈りに包まれてオープンした、“みちのく記墓地公園”から望む水沢市一帯には、民衆の「団結」の歴史が眠っている。
 時は延暦8年(789年)のこと。豊饒なる東北に支配権を伸ばさんと、都の将軍・紀古佐美の率いる約5万3000人の大軍が集結した。
 この時、民衆の抵抗戦を指揮したのが、胆沢地方の族長アテルイであった。昨年は、彼の「没後1200年」にあたっていた。
 北上川に沿って攻め来る、選り抜きの戦闘部隊を迎え撃ったアテルイ軍は、わずか2000人。しかし、神出鬼没の猛攻で、敵の精鋭を蹴散らし、圧勝したのである。
 史書を残す「巣伏の戦い」である。その古戦場は、私たちの水沢文化会館にも、ほど近いようだ。
 当然、地の利を活かした優れた作戦もあろうが、根本の勝因は、郷土を愛する勇者たちの「鉄の団結」ではなかったか。
 御書に引かれた、周の武王が800人の団結をもって70万騎の殷軍を破った故事を目の当たりにするような、赫々たる大勝である。都の傲れる貴族たちを、あっと驚かせたにちがいない。


 今や「6分県」に発展した岩手は、いわば「六頭の師子王」が一丸となり、師子奮迅の大力で驀進する。
 頑張れ! 全国の友が皆様の前進を瞠目して見つめ、圧倒的な勝利を祈っている。
 妙法の闘将たる我らの武器――それが正義の言論だ。
日蓮が一門は師子の吼るなり」(1190頁)である。
 悪は断じて責めねばならぬ。悪と知りながら目をつぶることは臆病であり、無慈悲以外の何ものでもない。
「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」(236頁)とは創価の父・牧口先生が常に語られた一節である。
 正義は叫び抜かねばならない。を大にして、も惜しまず、内にも、外にも、堂々と語るのだ。いな、師子吼するのだ!
 御本尊の大功徳を、広布の使命に生きる喜びを、わが同志の敢闘を、そして学会の正義と真実を!
法華経功徳はほむれば弥功徳まさる」(1242頁)と、大聖人は教えてくださっている。
 自分が叫んだ分だけ、幸福の拡大、友情の拡大、栄光の拡大があり、わが身に無量の大功徳が噴き上がるのだ。


 昭和35年、第三代会長に就任し、世界広布の戦いを開始した私と共に、わが岩手の同志たちは、一つに敢然と立ち上がってくれた
 それが「岩手支部」の晴れの出発であった。
 戦う勇気がある限り、不二の磁力で結合した師弟の魂は、常に一体である。広布を誓った共戦の師子の絆は、誰人も切ることはできない。
「諸君よ 更にあらたな正しい時代をつくれ」(「生徒諸君に寄せる」)と、岩手が生んだ宮沢賢治は歌った。
 今、我らの陣列には、「新しき世紀」を創る、偉大なる熱と力が漲(みなぎ)っている。
 今日も、また明日も、同志と勝鬨(かちどき)をあげながら、共々に築こうではないか!
 強き民衆の岩手を!
 世界第一の理郷を!


【「随筆 新・人間革命」308/聖教新聞 2003-02-20】