人の苦悩に対して想像力を広げることから「同苦」は始まる

 題目をしばらく唱え、鈴(りん)を叩いて御観文に入ろうとすると、伸一の背中に、ゴツンと後ろにいた青年の頭が当たった。
 視覚に障害があることから、伸一との距離がつかめなかったのである。
 頭をぶつけた青年は、慌てて後ずさりし、恐縮して小さくなっていた。
 伸一は、メンバーの労を深くじ取った。そして、皆が一人ももれなく、信を根本に強く生き抜き、なんとしても幸福な人生を勝ち取ってもらいたいと、ひたぶるに祈するのであった。
 一つの事柄から、何をじ取るか。人の悩に対して像力を広げることから、「同」は始まるのである。配慮とは、人をいやる像力の結晶といえよう。


【『新・人間革命』宝塔43/聖教新聞 2007-04-24付】


 どんな団体であれ、組織が資本主義的な色を帯びるのは仕方のない側面がある。一つの目的に向かって「競い合う原理」が働かなくなれば、集まる味がない。


 だが、責任ある立場の人々が競争原理にどっぷりと浸(つ)かってしまえば、構成員は手段として利用される結果となる。我々の立場で言えば、「何のために広宣流布をするのか」ということが最重要となろう。


 先生の人間主義が、世界を潤(うるお)す時代となった。しかし、組織は悪しき成果主義に毒されている。皆、「おかしい」といながらも、沈黙を守っている。まるで、オメルタ(マフィアによる沈黙の誓い)のようだ(笑)。


 参院選挙の渦中、日新聞東京版に学会を批判する投書が掲載された。会館で行われた座談会の終了後に模擬投票をしたことを問題視する内容だと記憶している。投稿した方は、普段、活動してない会員で、講演を頼まれたと伝えられている。直後に何通かのメールが寄せられた。云く、「どうやって切り返せばいいんですか?」。


 これこそ、今の組織を象徴する問題であると私はじた。日新聞の政治的な惑は別としても、投書の内容は頗(すこぶ)るまともである。模擬投票という行為が、時に選挙権を侵害するケースも出てくることだろう。身内では“当たり前”とってきたことが、社会で通用しない場合もあるという好例である。このように、真っ当な見であっても、組織防衛の本能が優先的に働いてしまい、拒絶反応を示すのだ。


「上から言われることは正しい」とい込み、自分で判断することを怠ると、必ず誤解が生じる。先の問題は、「学会の成熟度」が問われているのではないだろうか。


 組織で打ち出しが多いのは、「指示を出さなければ末端は動かない」という民衆蔑視によって支えられている。利口な会員はロボットになる道を選び(笑)、器用じゃない人は大リーグボール養成ギプスを装着する羽目となる(笑)。


 学会は人間主義なんだから、人間で勝負しろ。