「テロ特措法」から見えるもの


 政権が激しく揺れ出した。


 1031日の時点では、(自民・民主両党の大連立の可能について「頭の中では何でも出来るが、現実社会の問題としてはどうか。考えるのは自由だが、実行可能なことを考えてもらわないといけない」と慎重な姿勢を示していた(読売新聞)。これに対して小沢党首は、111日に宇都宮市内で記者会見をし、自民・民主両党による大連立について「考えていない」と否定した。その上で「何としても今度の衆院選過半数を取ることが当面の最大の目標」と述べ、あくまでも次期衆院選で勝利し、政権を奪取する決を示した(時事通信)。そして、先ほど行われた党首会談で、福田首相から連立を打診した。


 米国からの強い向があることは理解できるが、ここまでテロ特措法に固執するのは尋常でない。振り返ると、安倍前首相が「私には大きな責任がある。テロとの戦い(として)現在行っている自衛隊の補給活動を継続させるためには、あらゆる努力を行わなければならないと決している。民主党をはじめ野党の理解を得るために、職を賭して取り組んでいく」(APECが開催されたオーストラリア、シドニーでの会見要旨)と発言したのも極めて大仰(おおぎょう)な決だ。まるで、日本の首相としての責任よりも、インド洋で油を補給する仕事の方が重要だと言っているに等しい。しかも、国連決議がない上、米国が勝手に「テロとの戦い」だと定義しているにも関わらずだ。


 大連立となれば、キャスティングボートとして存在してきた公明党の影響力が弱まるのは必至である。しかし、そんなことは小さなことだ。私の胸に去来するのは、戦時下で弾圧を受けていた中での牧口先生の言葉である。

「私が嘆くのは一宗が滅びることではない。一国が眼前でみすみす亡び去ることだ。宗祖大聖人の悲しみを、私はひたすら恐れるのだ。今こそ、国家諫暁の秋(とき)ではないか。いったい何を恐れているのだろう? 戸田君、君はどう考える?」


 昨日、「国益と民意の乖離(かいり)」について書いた。大連立は民に基づくものではあるまい。米国からの圧力が、日本の首相をここまで揺さぶることが、国民のためになるとは到底えない。


 グローバルスタンダードとは、アメリカンスタンダードのことであり、「俺(米国)が胴元をしている“分捕り合戦”に、お前も参加しろよ」という味なのだ。このままいけば米国の国益のために、日本が犠牲を強いられる羽目になるのは明らかである。


 私が嘆くのは一党が滅びることではない。一国が他国の捨て石と成り果てることだ。