未来の実像は「青年の胸中」にある

 さて、「未来の社会」「これからの地球」といっても、その実像はどこにあるのか――。それはすべて未来を担いゆく若き君達の胸中にある。法の「一念三千」「因果倶時」の法理では、そのように捉えることができる。
 今、諸君のにどのような未来が、どのような希望が描かれているのか――ここに、すべてがかかっているといってよい。
 その味で21世紀は、もう始まっている。諸君の胸の中で刻々と育まれ、胎動している。
 ゆえに私は、広宣流布の大いなる「明日(あした)」を開くために、全魂を込め、諸君の胸中の“21世紀”に向かって語りかけたいのである。


 21世紀はどんな時代になるのか。それは、若き諸君自身が決めていく以外にない。「どうなるか」ではなく、「どうするか」である。


【第19回全国青年部幹部会 1990-01-08 創価文化会館


「決めて、祈って、動く」のが信のリズムである。を定めない祈りは、淡い期待に過ぎない。また、祈りなき行動は必ず空転する。


 未来といっても、断絶した時の彼方(かなた)にあるわけではない。「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(231頁)。


 学会の将来は、現在の青年部・未来部によって決まる。ゆえに、壮年・婦人部は全力で応援し、育成する必要がある。しかし、私の周囲には育てるべき青年部が存在しない(笑)。男子部も女子部もいないのだ。で、持て余した力を、こうしてキーボードに叩きつけてるわけだ(笑)。


 会社においても同様だ。若い社員をどれだけ大切にしているかで、会社の命運は決定される。若い連中をアゴで使っているような会社は、いつの日か滅んでゆくことだろう。


 キーワードは「希望」。若いメンバーのに希望を描く日々の行動でありたい。会長就任から数年を経た頃、先生がよく「20年後を目指しなさい」と青年部に指導されていたことがい出される。


 青年は爆発する力を持っている。おとなしい青年は、ただ発揮できないだけだ。昔の文化祭や夏期講習会のように、青年が絶叫し、狂喜乱舞する舞台が必要だ。ラインの活動だけだと、どうしても小ぢんまりとなってしまう。