『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ

 ツチ族のジェノサイドは、よく言われているような「ルワンダ人のジェノサイド」ではない。確かにその虐殺は、ルワンダにおいてルワンダ人がルワンダ人に対して行い、ルワンダ人が終わらせたという特徴を持っている。しかし、1994年の4から7にかけて、4ヶの間に1日1万人の割合で殺害された――総計約100万人――が犠牲となったこの虐殺は、圧倒的な沈黙の中で行われた。ちょうど、ワシントンではホロコースト館が開館し、西欧列強が連合国軍のノルマンディ上陸50周年を祝って、異口同音に「二度と繰り返すな!」と自ら言い聞かせていた時に。

 注目すべき特徴がもう一つある。この虐殺は、政府首脳が決定した政治的行為であり、フツ族人口の相当数が実際に手を下したということである。つまり、この政策の立案者は、こうした展開になるように図して、あらゆる司法的追及から逃れようと画策したのだ。そのためには、民衆をできるだけ多く巻き込む必要があった。彼らの言うとおり、「全人民を裁判にかけることなどできやしない」のだから。
 およそ200万の人々――男、女、子ども、老人、軍人、司祭、修道士、公務員ら――が、多かれ少なかれこのツチ族組織的虐殺に加担した。

 飛行機事故。1994年46日午後8時10分ごろ、キガリ空港上空で、ルワンダ大統領ジュヴェナル・ハビャリマナの乗った専用ジェット機に2発のロケット弾が命中し、空中で爆発した(ロケット弾を発射した人物についてはいまだに不明である)。すぐに嫌疑をかけられたのはツチ族だった。こうして、フツ族のハビャリマナ大統領の死が、100日にわたるジェノサイドの引き金となったのだ。大統領を殺害した男は、100万人以上の犠牲者を生み出したことになる。

 だが実際には、わが小国はキヴ湖をめぐるフランスとイギリスの利権競争の争点になっていた。両国とも「アフリカへの支配力」を強化しようとしていたのだ。パリは当時、フランス語系のフツ族の政府を支持していた。ロンドンは英語系のツチ族が反抗の機運を盛り上げるよう手助けし、元イギリスの植民地であったウガンダをその後方基地に仕立て上げた。この対立が問題を紛糾させ、事態をひどくこじらせることになる。
 フツ族ツチ族は仲むつまじく暮していたのに、支配の都合上民族を分離して対立を促したのは、地の悪い植民地支配者だったと言ったら、こっけいに聞こえるかもしれない。しかし、それは決して間違いではない。

(ジェノサイドが始まった直後)私たちの羊飼いは子羊を見捨てた。さっさと逃げてしまった。子供を連れて行くことさえしないで、私には、両司祭が私たちを見捨てた事実を理解することも受け入れることできなかった。二人は小型バスに乗る前に、誰にともなくこう言った。
「お互いに愛し合いなさい」
「自分の敵を赦(ゆる)してあげなさい」
 自らの隣人に殺されようとしているその時の状況にふさわしい言葉ではあったが、それは私たちを取り囲んでいるフツ族に言うべきだろう。
 司祭の一人はベルギーに避した後、こうもらしたという。「地獄にはもう悪はいない。悪は今、全員ルワンダにいる」と。神に仕える者が、迷える子羊たちを荒れ狂うサタンの手に引き渡すとは、なことだ!
 ある修道女もトラックに乗る前に、周りに殺到してきた人々に向かって「幸運を祈ります!」と言っていた。ありがとう、修道女様。確かに幸運が来れば言うことなしなのだが。

 錠が飛んだ。扉が半開きになる。小さな弟たちや従兄弟たちが泣き、従姉妹たちが悲鳴を上げる。最初に扉の隙間から顔をのぞかせた男は、私の知っている男だった。シモン・シボマナという、繁華街でキャバレーを経営している無口な男。(中略)
 シボマナは怒鳴った。
「伏せろ、さあ、早く。地面に伏せるんだ!」
 ふと側にいる伯父ジャンの存在に気が付く。伯父は少しだけ左向きに身体を起こし、頭をのけぞらせて彼を見つめている。シボナマは素早い動作で伯父の首を切り落とす。ホースから水が噴き出すように、血しぶきが笛の音のような音を立てて鉄板屋根までほとばしった。
 伯父ががっくりとくずおれた時、一人の子供がとりわけ大きな叫びを上げた。9歳になる伯父の末子ジャン・ボスコだ。シボマナはマチューテの一撃で子供を黙らせる。キャベツを割るような音と共に、子供の頭蓋骨が割れる。続いて彼は4歳のイグナス・ンセンギマナを襲い、何故だか分からないがマチューテで切り付けた後で死体を外に放り投げた。(中略)
 血が血を呼ぶ。荒れ狂う暴力。シボマナは地面に横になっている祖母を踏んだ。暗くてよく見えなかったのだが、彼が祖母を殺そうとすると、祖母は断固とした口調で言った。
「せめてお祈りだけでもさせておくれ」
「そんなことしても無駄だ! 神様もお前を見捨てたんだ!」
 そして祖母を一蹴りしてから切り裂いた。
 私はその時何もじていなかった。恐怖、恐怖、恐怖しかなかった。恐怖にとらわれて私の覚は麻痺し、身動きすることさえできなかった。クモの毒が急に体温を奪うように。臓がどきどきし、汗が至るところから噴き出す。冷え切った汗。
 シボマナは切って切って切りまくった。他の男たちも同じだ。規則的なリズムで、確かな手つきで。マチューテが振り上げられ、襲いかかり、振り上げられ、振り下ろされる。よく油を差した機械のようだった。農夫の作みたいに、連接棒の動きのように規則的なのだ。そしていつも、野菜を切るような湿った音がした。

 母の死は、私が目撃せざるを得なかった殺戮の中でも最悪の残虐行為だった。

 そのとき私は、悪がこの世に存在することを知った。たった今、その瞳と視線を交わしたところだった。
 シボマナはまず、私に寄りかかっていたヴァランスに切りかかった。従弟の血が降りかかる。シボマナが再び鉈(なた)を振り上げる。私は反射的に左手で、頭の前、額の辺りを守った。まるで父親に平手打ちを食らわされる時のように。敵が襲いかかってくる。刃が振り下ろされ、私の手首をぱっさり切り落とす。左手が後ろに落ちた。温かい濃厚な液体がほとばしる。私はその場にくずおれた。

 1分間の大虐殺。ほんの100秒の間に43人が殺された。私の家族全員が死んだ。私は死んだのか? 残ながら、まだ生きている。

 シボマナが大笑いして、私に近付いてきた。
「おやおや、そこで外に鼻を突き出しているのは、ツチの家族の長男じゃないか!」
 そう言うと非常に機敏な動作で、私の顔から鼻を削いだ。
 別の男が鋲(びょう)のついた棍棒で殴りかかってくる。頭をそれた棍棒が私の肩を砕き、私は地面に倒れ伏した。シボマナはマチューテを取替え、私たちが普段バナナの葉を落とすのに使っている、鉤竿(かぎざお)のような形をした刃物をつかんだ。そして再び私の顔めがけて襲いかかり、曲がった刃物で私の左目をえぐり出した。そしてもう一度頭に。別の男がうなじ目掛けて切りかかる。彼らは私を取り囲み、代わる代わる襲ってきた。槍が、胸やももの付け根の辺りを貫く。彼らの顔が私の上で揺れている。大きなアカシアの枝がぐるぐる回る。私は無の中へ沈んでいった……。

「それは勇敢だな」
 ある晩、雪の小道で養父リュックにばったり出くわした。私が、この冷え切った暗闇を歩きながら幽霊を追い払おうとしていたのだと打ち明けると、リュックはこう言った。
「そうさ、怖がらないことが勇気なんかじゃない。恐怖に耐え、しみを受け入れることが勇気なんだよ」

 二人の間には敬のこもった愛情が織り成された。私たちの間には、随分押し付けがましい物言いもあれば、歯に衣着せぬ言い争いもあったが、言葉と沈黙を通して私たちは一緒に歩んでいった。
 例えば今日の午後も、二人の対話は随分白熱した。彼には既に話したことがあるが、私は母が腹を切り裂かれるのを見た時から信仰を失っていた。だから、模範的な説教なんかして、あまり私をうんざりさせない方がいい。私たちに生を与えておきながら私たちを死に置き去りにした、わが少年時代の司祭たち。彼らの説教をい出すと吐き気がする。

「ある文化の中で、服従することが神聖なことだと考えられるようになれば、人は良呵責なく罪なき人を殺すことができる」
 精神科医ボリス・シリュルニックはこう答える。大戦当時子供だった彼は、両親が捕まった時見事に逃げ出すことに成功した(両親はアウシュヴィッツに送られて殺された)という経験の持ち主だ。
服従によって、殺戮者は責任を免れる。彼らはある社会システムの一員であるに過ぎないからだ。そのシステムに服従して行う行為は全て許される」

 私はもう神を信じていない。1994年420日、まだ子供だった私のの中で神は死んだのだ。人の教えてくれたところによると、虐殺を生き延びたユダヤ人には不可知論者になる者が多いらしいが、私にはその気持ちがよく分かる。エリ・ヴィーゼルはその著作の中で、強制収容所で忌まわしい光景を目撃した瞬間、当時子供だった彼のの中で神が死んだ経緯を語っている。ブナ収容所で、ある日かれは、少年が絞首刑にされるのを目の当たりにした。やせ細っていた少年は、ぶら下がっても死に至らないほど軽く、縄に吊り下がったまま身をよじらせて悶えしんでいた。そのしみはいつまでも続いた。子供だったエリは、居並ぶ人々の間からこんな言葉が何度も漏れてくるのをにしたという。
「神様はどこにいらっしゃるのか?」「神はどこにいる?」「神はどこだ?」
 やがて見守っていた人々の中から一つの答えが聞こえてきた。
「神はどこにいるかだって? ここだ。ここにぶら下がっているじゃないか、この絞首台に」
 神はこの少年と共に死んだのか?

 母は最期まであなたのことを信じていました。それはよくご存知でしょう。母がいくら祈っても、私がお願いしても、全能の神であるはずのあなたは指一本たりとも動かすことなく、母を守ろうとしませんでした。私はその乳とあなたの言葉で育ててくれた母は、喉の渇きにしみながら死んでいきましたが、あなたは自分のしもべの痛さえ和らげようとせず、干からびた母の唇に清水の一滴も注ごうとはしませんでした。その唇は最後の最後まであなたのを唱え、あなたを褒め称えていたというのに。


 伯父ジャンの喉元から血がほとばしり出た瞬間、私の信仰も抜け出ていきました。
 祖母ニィラファリのお腹から生命が逃げ去った瞬間、私の信仰も逃げていきました。
 叔父エマニュエルが串刺しにされた瞬間、私の信仰も串刺しにされました。
 殺戮の場と化した教会の壁にあの子供たちが打ち付けられて、その頭蓋骨が砕かれた姿を見た瞬間、私の信仰も砕かれました。
 私が愛した人々の命が燃え尽きた瞬間、私の信仰は燃え尽きました。
 鋲つきの棍棒で肩を粉々に砕かれた瞬間、私の信仰も粉々に飛び散りました。

 あなたには、無垢な人々を救う手さえないのですか?
 自分の子供の不幸も見えないほど目が悪いのですか?
 彼らの叫びも、助けを求めるも、悲嘆のも聞こえないほどが悪いのですか?
 彼らをずたずたに切り裂こうと襲ってくる汚らしいやつらを踏み潰す足さえないのですか?
 涙を流す人々と共に、涙を流すさえ持っていないのですか?
 か弱き者や小さき者を守るはずなのに、ゴキブリたちさえ守ることができないほど無力なのですか?
 つまりあなたは、闇の中にいて盲目の眼差しで私を見つめるだけの無力な神なのですね?
 しかしそんなことはどうでもいいのです。私のの中では、あなたはもう死んでいるのですから。


ルワンダ大虐殺 〜世界で一番悲しい光景を見た青年の手記〜