『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン


 ビッグバン以降の世界の成り立ちが、たったの639ページでまとめられている。さすがにベストセラー作家だけあって軽妙洒脱な文章で読ませる。トイレに置いておけば、便座の上で科学史を学ぶチャンスが訪れることだろう。これが本当の「ウン蓄」。キリスト教の教義が科学の発達を妨げてきた場面が、何度となく出てくる。ダーウィンは進化論を隠し続け、発表するのをやめようとさえしていた。イエスの精神が教条主義と化した時、キリスト教は人々を拘束する道具となった。

 太古から恵まれた進化の系統に属してきたことだけでも、あなたは十分に運がよかったが、あなた個人を終点とする長い長い系図にも、極上の――奇跡と呼ぶしかないほどの――幸運がちりばめられている。38億年間、山河や海洋が生まれるよりもっと昔から、あなたの母方と父方、両方のすべての先祖が、配偶者を見つけるだけの魅力を持ち、繁殖可能な程度に健康で、なおかつそれを実践できるほど長生きする運と環境に恵まれていたのだ。その中の誰ひとりとして、巨獣に踏みつぶされたり、生で食べられたり、海に溺れたり、岸に打ち上げられて鰓(えら)呼吸ができなくなったり、不慮の怪我で生殖機能を損なわれたりすることなく、しかるべき時にしかるべきパートナーと遺伝的材料のささやかな授受・結合を行ない、しかるべき形質の組み合わせを次々ととぎれることなく送り継いで、最後の最後に、ほんの束の間、あなたというゴールへ行き着くたった一本の驚異の道をたどってきた。これがどんなに稀有なことか、考えてみるといい。

 すぐ気づくのは、今までに見た太陽系の地図がどれも恐ろしく縮尺を無視して描かれていることだ。学校にある地図ではおおむね、惑星と惑星が近所付き合いのできそうな間隔で並んでいるように見える――外側にある巨星が互いに影を落とし合っているようなイラスト画を見かけることさえ少なくない――が、これは同一紙面にすべてを収めるためにどうしても必要な、騙し絵なのだ。海王星は実際には木星のちょっと先にあるわけではなく、木星のはるか彼方――地球から木星までの距離の約5倍、木星から離れたところ――にあって、あまりの遠さに、木星が得る太陽光の3パーセント分しか海王星には日が当たらないほどだ。
 こんなに拡散していては、現実問題として太陽系を一定の縮尺率で描くのは無理だ。たとえ教科書の端に幾重にも折りたたんだ紙を貼り付けても、長い長いポスター用紙を使っても、正確な縮尺率とはかけ離れたものにしかならない。地球の直系が豌豆豆(えんどうまめ)くらいになる縮尺で太陽系を作図すると、木星は300メートル先、冥王星は2.4キロ先になる(しかも大きさはバクテリア程度だから、どのみち見ることができない)。同じ縮尺率を用いた場合、太陽系にいちばん近い恒星プロキシマ・ケンタウリに至っては、ほぼ1万6000キロの彼方だ。全体の縮尺率を上げて、木星が文末のピリオド、冥王星がせいぜい分子のサイズになるように縮めたとしても、冥王星はまだ10メートル以上向こうになる。
 というわけで、太陽系はまったくもって、とてつもなく広い。わたしたちが冥王星にたどり着くころには、太陽から遠く離れすぎて、あの暖かで、肌を小麦色に焼き、活気をもたらす麗しいお日様は、ピンの頭ほどのサイズになっている。ちょっと大きめの明るい星といったところだ。

 要するに、相対理論が示しているのは、空間と時間は絶対ではなく、観測者と観測されるものの両方と相対的な関係にあり、一方が高速で動くほど、その影響が顕著になるということだ。わたしたちはけっして高速度まで加速することはできず、努力するほど(そして速く動くほど)、外側にいる観測者たちに対してゆがんだ存在になっていく。(中略)
 この効果は、じつはあなたが動くたびに起こる。飛行機でアメリカ横断の旅をすれば、降りるときには、あとに残してきた人たちよりも数千億分の1秒程度若くなる。部屋を横切るだけでも、ほんのわずかではあるが、自身の時間と空間の経験を変化させていることになるのだ。時速160キロで投げられた野球のボールは、ホームプレートにたどり着くまでに0.000000000002グラム質量を増すと計算されている。つまり、相対理論の効果は現実であり、計測することができる。問題は、そういう変化があまりにも小さいので、検出可能な最小の差異を作ることさえ困である点だ。しかし、宇宙に存在するそのほかのもの――光、重力、そして宇宙そのもの――にとって、これらの変化はとても重要な味を持つ。

 中子と陽子が、原子核を占めている。原子核はとても小さい――原子全体の10億分の1の、さらに100万分の1しかない――が、驚くほど密度が高く、原子量のほぼすべてがここにある。クロッパーの喩えによれば、原子を大聖堂の大きさにまで拡大しても、原子核は蝿くらいの大きさしかない。ただし、大聖堂より何千倍も重い蝿だ。あり余るこの空間、圧倒的な予期せぬこの広大さが、1910年にラザフォードの頭をひどく悩ませた。
 原子のほとんどが何もない空間から成り、わたしたちが周囲のものにじている固さは錯覚なのだというとらえかたは、現在でも驚嘆に値する概だ。現実の世界で2個の物体――解説で最もよく使われるのはビリヤードの玉だ――が衝突するとき、2個は実際にはぶつかっていない。ティモシー・フェリスの説明によると、「むしろ、2個の玉の負の電荷を帯びた場が、はじき合っているというのが近い……もしどちらも電荷を帯びていなかったなら、無傷で互いを通り抜けていくだろう」。あなたが椅子に坐ったとしても、正確にはそこには坐っておらず、1オングストローム(1億分の1センチ)ほど浮き上がっている。あなたの持つ電子と椅子の持つ電子が、それ以上の接近をかたくなに拒む。

 DNAの存在理由はただひとつ。より多くのDNAを創り出すことだ。人間の体内には大量のDNAが存在する。ほぼすべての細胞に長さ約2メートルのDNAが畳み込まれているのだ。そして、その長さのDNAひとつひとつに、32億の暗号文字が含まれ、10の34億8000万乗の組み合わせを可能にしている。クリスチャン・ド・デューヴの言葉によると、「考えうるかぎりの予をすべて裏切る独特な組み合わせが保障されている」のだ。30億個以上もゼロが並ぶのだから、無限に近い可能だと言っていい。「その数字を印刷するだけで平均的な厚さの本5000冊分を上回る」と、ド・デューヴは述べている。自分の姿を鏡に映して、今眺めているのは1兆の1万倍の数の細胞であり、そのほぼ全部に約2メートルのぎゅっと圧縮されたDNAが含まれているという事実をい返してみれば、人ひとりがどれほど多くの可能を持ち歩いているか認識できるというものだろう。ひとりぶんのDNAを編み合わせて一本の細い鎖にすると、地球からまでの距離を一度や二度ではなくくり返し何度も行き来するのに十分な長さになる。ある計算によると、人間は、全長2000万キロものDNAの束を体内にかかえ込んでいるという。


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