走る姿にも色々ある


 大事なことを書いておこう。ただし、婉曲な表現とならざるを得ないことをご理解願いたい。


「走」の字は、人が右方向へ走る姿を象形化したもの。ヒトが進化の歴史の中で勝ち抜いてきたのは、長距離を走ることができたためであると指摘するもある。チーターなどネコ科の動物は短距離専門である。


 我々にとって「走」といえば、やはり「広布に走れ」ということになろう。元々は学生部の愛唱歌として誕生した。


 活動家は皆、広布のために走っている。時々、歩いたり、道草したり、止まったり、引き返したりを繰り返しながら。一日一歩、三日で三歩、三歩進んで十歩ぐらい下がっている奴もいるな。多分、目的を見誤っているのだろう。そう、オウンゴール。広布に走れではなく、不幸に走れ。広布の自爆テロ


 走る姿にも色々ある。まずは「鬼ごっこタイプ」。楽しいだけで、一向に前へ進まない。同じ場所をぐるぐる回っているだけ。しかも、鬼という貧乏くじを引いた者が、一番走らなくてはならない。役職ですかね?


 そして「ジョギングタイプ」。自分の健康のために走る。飽くまでも自分のためである。他人はどうでもいい。目的は明確だが、“健康のための手段”となっているため、惰に陥りやすい。何となくやらされているような。時に面白くなくても頑張る悲壮が漂う。そうさ、君は孤独なランナー。長所は、本人が納得していること。でも、指導は受けない。


 次に「避タイプ」。生命の危険をじて走る様相。これには2種類ある。実際に被害に遭った場合と、危機情報を与えられた場合と。避タイプの走り方は混乱を極める。確かな情報が少ないからだ。“どこ”へ逃げればいいのかがわからない。だから、闇雲に走ってしまいがちだ。そして二次災害を招く。やたらと危機を煽る幹部、涙しながら仇討ちを説く幹部は信用するな。そんなものは単なる演出に過ぎない。本物の決は底知れぬ湖のように静かなものである。


 更に「バーゲンセールタイプ」。特売品を買い求めるために走る主婦。もうね、形相が凄い。ザ・餓鬼界。他人を押しのけても商品を確保。それで幸せになったかといえば、天界止まりだ。功徳目当ての浅ましい信といえよう。幹部が説く功徳は、その殆どが欲望を満たす内容となっている。まるで、壷を購入すれば病気が治るとでもいうように。こんな信をしていれば、死ぬまで功徳の間で戦う羽目となる。幹部から煽られて成果を出すタイプだ。その内、叩いても埃(ほこり)すら出ないようになる。どんなことがあろうとも一喜一憂せず、功徳と罰を超克しながら前進することが正しい。


 最後に「マラソンランナータイプ」。これぞ一生成。42.195キロどこじゃないよ。20歳から70歳まで毎日1キロ走ったとしても、1万8250キロになる。まず、ゴールが明確である。コースから外れることもない。ペース配分も練られている。だけど、「火の信」だと水分補給を忘れて、途中でミイラになっていることもある。我が人生のゴールを広布と一致させるところに、本当の充実と満足がある。広宣流布の成果とは、「深き信」の人を増やすことだ。